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異なる時空が交差する場
1845年(江戸後期)に50万平米にも及ぶ敷地に創られた御船山楽園。敷地の境界線上には、日本有数の巨木である樹齢3000年以上の神木の大楠があり、庭園の中心には樹齢300年の大楠がある。そのことからわかるように、古来より大事にされてきた森の一部を、森の木々を生かしながら造った庭園であることが想像できる。庭園と自然の森との境界は曖昧で、回遊していく中でいつのまにか森に入り込んだり、けもの道に出くわしたりする。
森の中には、超自然的に積み重なった巨石の磐座(いわくら:日本に古くからある自然崇拝(アニミズム)の一種)であったであろう祠がまつられている。7世紀頃、日本独特の山岳宗教を創始した役の行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)が、屏風岩(びょうぶいわ)全面に彫ったとされている高さ23mの巨大な不動尊像が、御船山の岩壁にある。また、後に奈良の大仏をつくる名僧行基が、約1300年前に御船山に入山し五百羅漢を彫ったとされており、森の中の洞窟の岩壁には、行基が直接彫ったと伝えられる仏が今も残る。森の境界には、塚崎城石門という城跡などもあり、森や森の境界には、様々な遺跡が残る。
我々は、長い長い時の境界のない生命の連続性の上に危うく奇跡的に存在する。しかし、日常では、なかなかそれを知覚することが難しい。人間は、自分の人生より長い時間を認知できないのだろう。時間の連続性に対して認知の境界があるのだ。
樹齢3000年以上の木が存在する森は、全く知覚できないほどのゆっくりとした時間の流れで日々変化し、そして、それを毎年繰り返しながら、果てしない長い時間が積みあがった空間である。森や森の境界に点在する様々な時代の遺跡や、江戸時代に作られ今なお続く庭園は、また、それぞれ異なった時空を持つ。そして、庭園の中の廃墟の湯屋は、近代につくられたものが、わずかに時代が変わったことで使われなくなった、まるで時間が止まったような時空である。
様々な時空を持つ御船山楽園にある廃墟の中で、それらとはまた時空が異なる存在の作品群を創ることで、時間の連続性に対する認知の境界を超えて、様々な時空が交差し重なり合うことが認識できる場を創れるのではないかと思ったのだ。
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