有田のまちと暮らしと窯元のつながり

佐賀駅から普通電車で乗り換えを含めて約1時間。朝の有田は人が少なく静かで、秋という季節のせいもあってか少し寂しげな印象を受けました。今回はぽたりのメンバーでやきものの町、有田を取材してきました。


まずはのんびり散策をしながら有田の町を見るため、「トンバイ塀のある通り」行きました。
トンバイ塀とは登り釜の耐火レンガの廃材や釜道具、陶片を赤土で塗り固めてつくった塀のことで、有田内山地区の裏通りに点在しています。
目的地にタクシーで移動する最中、「やきものを作る全盛期だった有田で失敗した陶器を割る音が「ビャー」と聞こえていたから、トン(陶器)バイ(ビャー)塀と名付けられているらしいですよ。」と運転手さんがローカルな情報を教えてくれました。
現在の有田ではそのような音が聞こえてくることはなく、名前の由来の諸説は他にもあるらしいのですが、かつては日常の中で鳴り響き、その音と共に人々は生活していたのだろうかと想起させる、有田らしいオノマトペだと感じました。

トンバイ塀を中心に散策を行う途中、塀近くのレトロで生活感あふれる町並みにも目移りしました。
有田は江戸時代あたりから町の作りが変わっておらず、狭い路地がいくつもあり、「この先に行ったらどのような景色が広がっているのだろう?」と冒険心をくすぐられます。

塀や石畳、看板などの写真を撮りながら路地を進んでいると、川を渡る橋にさしかかりました。
橋の上から川を覗くと、川石と共に苔のむした丸いものが川底に点々と落ちているのを確認できます。
この風景は有田の昔の陶工達が絵付けや焼成する際に失敗した陶磁器を川に投棄してでできたもので、その陶片を有田の人は「べんじゃら」と呼ぶそうです。有田ならではの歴史の名残です。

散策を終え、道行く観光客や開店しているお店が増えてきたお昼頃、「イタリアンBar DOMA」へおじゃまさせていただき、食事を待つ間、店主の百田司さんにお話を伺いました。
DOMAは大正時代から建てられている築100年の家屋の土間部分を食事スペース(バー)に改装し、畳の居間部分には「百福ギャラリー」という磁器を売るお店を設けています。
この百福ギャラリーに置かれている磁器は有田焼製造の特徴である分業制のもと作られておらず、百田さんが成形や絵付けや焼成といった工程全てをお店の裏側にある工房で行っているとのこと。
一つ一つ丁寧に絵付けされた模様は有田焼の伝統的な古典柄を用いており、古めかしいのにどこか繊細でかわいらしい持ち味があります。

オリーブオイルと塩で味付けしたイタリアン風ごどうふ
サワラとからすみのパスタ
落ち着いた色合いの器と合っている

磁器を作る片手間、縁側でユリを栽培したり、DOMAをお昼限定のバーとして開店するという独自の生活を送る百田さんはとても気さくで話しやすい方でした。
色々なお話を聞かせていただいた間に完成したイタリアン料理は、百田さんの作った器で提供され、彩りよく、調和のとれた盛り付けがされていました。

お昼ご飯を終え、次の取材地である「G工房」へ。
ここは大久保譲治さん、スミエさんのご夫妻が営む、磁器作りと銀を加工する工房兼ギャラリーショップです。店内には工房で作られた白磁の磁器や銀細工が売られています。
色味のないシンプルな器を陳列しているにもかかわらず、おしゃれで整った空間を演出しているのは奥さんのスミエさん。
この工房を中心に有田町内の工房やギャラリーショップの陶磁器の並べ方、配色の仕方といったウィンドウディスプレイの考え方を広めた第一人者です。
かつての有田にある工房やギャラリーなどはどこか閉鎖的で、戸を開け、実際に入ってみなければどのような陶磁器が置かれているか分からなかったそうです。
本来、有田は陶磁器を作る陶工達が働く町として栄え、完成した陶磁器は遠方の旅館などに大量に売りに行くという形態をとっていました。
しかし、有田陶器市などで有田の観光地化が進み、有田外からのお客さんが陶磁器を買いに訪れるという突然の生活の変化に対応できなかった時期もあったそうです。
そこで、有田の町並みを活性化するための事業として、高校生を対象とした「ディスプレイ甲子園」というイベントを開いたり、窯元を営む町内の方達に向けた「ディスプレイ講座」などを行ったのがスミエさんでした。

G工房内のディスプレイ

活動を通じて有田町内の人々も次第に「自分のお店を綺麗に見せたい。」、「お客さんに陶磁器買って貰いたい。」という考えが生まれはじめ、有田にウィンドウディスプレイの文化が広がっていったのです。
現在のお店を眺め歩くだけで楽しい、綺麗な有田の町並みは、長い年月を経て少しずつ作られていったことを知る機会となりました。

陶悦窯にある、器を成形するための「へら」

最後に取材に訪れたのは「陶悦窯」です。
陶磁器を製造する全ての工程を陶悦窯内で行い、専門の職人ごとに工程を分担する分業制のもとに陶磁器を作っています。
陶悦窯はこれまで培われた伝統的な技法を守りつつ、常に現代の生活を意識した陶磁器を作ることを心がけているといいます。
取材した際に見せていただいた開発途中の一輪ざしの磁器の花瓶は、花を美しく見せるための細工を花瓶の底に施したり、普通の花瓶では洗いづらい中の部分を洗いやすくする工夫などがあり、その片鱗を見ることができました。(まだ開発中なので写真は撮れませんでした。)

そして、職人さん達が実際に作業をしている工房の中に入らせていただき、どのような順序で焼き物が作られているか、何の作業をしているかなどを丁寧に説明してくださいました。

有田焼といえば伝統的なものというイメージや、高貴で手の届かないものといったイメージがありましたが、窯元自身が人の暮らしをよく観察し、新たな有田焼の形や釉薬の質感や色味などを日々研究している陶悦窯は、実用的で一般家庭でも使えそうな陶磁器が多い印象を受けました。
温故知新の精神を受け継ぎながら、有田焼の新たな価値創造を模索し、今もなお進化し続けていることが、この窯元の最大の特徴ではないかと思いました。

夕~夜あたりの有田

ぽたりでの取材を終えた後、もう一度有田内山地区の通りを散歩してから帰ろうとふと思い立ち、再び歩いて行ってみたのですが、17時あたりになるとほとんどのお店が店仕舞いをし、電気や道行く人が消え、朝見たような静かな町に戻っていく様子が見られました(DOMAが夜でなく、お昼限定のバーだったことに少し納得しました。)。
窯元やギャラリーに限らず、内山地区あたりのカフェや土産屋などもほぼ同じ時間帯に一斉に開店し、一斉に閉店する様子は、町全体が一体感のあるひとつの生き物のようにも感じられました。
また、今回の取材を通して、窯元ごとに確立している器の個性やライフスタイルの違いについて考えさせられました。
取材させていただいた3つの窯元は生活や食、美、ディスプレイ、まちづくり、新しさ、人などから着想を得て、個性豊かな陶磁器を作り出していました。有田に根付く伝統的な陶磁器文化を基盤にしつつ、窯元は陶磁器をどういった観点からアプローチして作るかを常に考えているからこそ、陶磁器を買って使う人の用途や対象の幅が広がり、有田から陶磁器文化が絶えず残り続けているのではないかと感じました。
今回の取材では3つの窯元しか回れませんでしたが、まだまだ有田には数多くの窯元が存在します。
次にまた有田に行く機会があれば、他の窯元さんにもお話を伺ってみたいと思いました。