makijaku製作室でZINEと出会う。早道でない、ものづくり。

本屋でもない、ハンドメイドのお店でもない。

makijaku製作室がどこにあるのか尋ねられたら、護国神社のそばの閑静な住宅街の一角だ、と答える。makijaku製作室とは何の店か、と尋ねられたら、質問に直接答えることを避けて、行って、見てみるのが一番いい、とすすめるだろう。

「何のお店かは、私自身説明できない」と、主宰者の大島裕可里さんは言う。

あえて説明するなら、ZINEの販売、訪れた人それぞれの要望に応じた製作のサポート(コラボレーション)、そして大島さん自身の製作の展示販売を行う場である、というところだ。

4月末で、オープンからまる4年を経過した。

幼い頃からものづくりが大好き。短大で被服を専攻したことから、洋服等の簡単なリメイクや補修、つまり「布もの」製作からスタートした。大島さんの興味に合わせて最近は「紙もの」製作が増えている。アトリエを兼ねた部屋の中には「布」「紙」を問わず、製作に必要なものがインテリアのように並んでいた。

「『うちのお店で〇〇は任せてください』というアピールはしないんです。まずはお店に遊びに来てほしい。出会うこと、そして対話すること。お話していく中で、『何ができるか』を一緒に考えます」。

例えば、「付け襟を作りたい」と希望していて、完成形のイメージがおおまかにある人が訪れたとする。イメージを現実にするために必要な作業は何か。どうしたらイメージに近づくか。一緒にアイデアを出し合いながら、付け襟をカタチにしていく。丸投げしたい人でなく、イメージを持っていて、会話や作る過程まで含めて楽しみたい人。この空間に似合うのは、そんな人だといえる。

「『端切れをつないだらかわいいね』というアイデアが浮かぶこともあるし、話し合っていくうちにご本人のイメージが明確になっていくことも多い。対話を通じて、イメージをカタチにするサポートを行う場所です」。

捨てられない大切なものを持ち込んで相談する人もいる。

「私は『もったいない病』で、捨てるぐらいなら何かに活かせないか? と考えてしまう。使われなくなったものをもう一度活かすためのお手伝いをやっています。makijaku製作室は、4年かけて『コラボ屋さん』にシフトしてきました」。

長崎市内で生まれ育ち、地元の短大を卒業して、結婚を機に佐賀市に移住した大島さん。佐賀暮らしは22年になる。15年ほど前から、手作り製品の販売は行っていた。今の家に引っ越してきた5年ほど前、スペースが広いことから、自宅で何かできないかを考えた。

子どもたちの手が離れてきたタイミングでもあった。家計のためにパート勤務を開始する選択肢もあったが、自分らしさを失わない働き方と生き方を考えた結果出した答えが、自宅でアトリエを兼ねた製作室を開くことだった。「枠にはめられない、こういう生き方もあるよ」と子どもたちに見せたいという思いもあった。

「幸せとはどんなことかを、枠にとらわれることなく、自分自身で考えてほしいんです」。

転機となったZINE製作。『22+22=44』。

「これから先の人生は、ついでだと思っています」。

大島さんがさりげなく落としたことばに、どきりとする。筆者とあまり年齢の変わらない女性のことばとは思えなかった。思いがけずネガティブなことばを聞いたように感じたのだが、大島さんの真意はまったく逆。

「やりたいことはやり終えた。その上で、毎日を大切に生きていきたい」という、前向きな、覚悟のことばだったのだ。

44歳の大島さんがこう言えるようになったのは、ZINEを製作したことによる部分が大きい。タイトルは『22+22=44』。長崎で過ごした22年間、佐賀で過ごした22年間がつまっているという意味を込めた。

実は、筆者が大島さんに取材を申し込んだのも、このZINEがきっかけだったのだ。

箱のふたを開けると、大切に保管してきた手紙のように、几帳面に折り畳んだ紙の束が表れる。一番上は目録で、「はじめに」「おわりに」のあいだに44の項目が記されている。1枚の紙に1つのエピソード。紙の素材も色もサイズもまちまちだが、手触りの良い紙を選択しているのがわかる。

「これを読んでもらっても私のことは半分しかわかってもらえないだろうとは思いつつ、『これだけは知っていてほしい』ということをつめ込んでいます」。

大島さんの幼少時から今に至るまでの、さまざまなエピソード。坂の町の記憶、家族のこと、自分自身の葛藤。読んでいて息が苦しくなる内容もあるのに、不思議なほどひきこまれる。そして、「他人の思い出ばなしほどつまらないものはない」という偏見を見事に覆されるのである。

「SNSでは表向きの自分しか出せない。『makijakuさんていう人は自由気ままにやってるな』という印象を持たれることもあります。でも、もう少し多面的に見てほしい、という気持ちがありました。自分の経験や気持ちを理解してほしいという思いももちろんありました」。

読み進めるほどに、「作業は決して簡単ではなかっただろう」と想像される。ZINE製作にあたって大島さんが臨んだ、自分を掘り下げる作業が、である。そして、その作業があったからこそ、「読まされる」ZINEが完成したことは間違いない。個人を深く掘り下げた底にあるものは、他の誰かの心の奥底と通じているのかもしれない。

人と人が出会うところに、ZINEが生まれる。

1年ほど前、大島さんはもやもやした思いを抱えていた。大切な仲間を得て、毎日が充実しているのに、状況を素直に喜べない自分自身に気づいた。仲間はいずれ去ってしまうのではないか、今の幸せは失われてしまうのではないかという、根拠のない不安。不安を呼び起こすものは何だろう。自分の過去と向き合う日々が始まった。

そんな中、SNS経由で郷土の長崎市に友人ができる。ライターの長野大生(ながの ひろき)さん、そして市内で「本屋ウニとスカッシュ」(通称ウニスカ)を経営する河原康平さんだ。ウニスカとmakijaku製作室でZINEの公募展『UNI×MAKI×ZINE』を開催したり(2022年2月22日~3月21日・長崎市/3月30日~4月24日・佐賀市)、長野さん主催のショートショートを作る活動をオンラインで視聴したり。交流の中で、「書くことで自分と向き合う」という選択肢が見えてきた。それを実践した結果が『22+22=44』ということになる。なお、『22+22=44』の中には、ウニスカ及び長野さんとのコラボ記事も入っている。

文章を紡ぎ始めた頃は、自己満足かもしれないという迷いがあった。書き進めるうちに、「こういう人もいるんだ」「こういう捉え方もあるんだ」と知るきっかけを、読む人に与えられる可能性に気づいてきた。

『22+22=44』が読む人をひきつけるのは、そこに綴られている文章がひとりごとではなく、世界と自分との関係を見つめなおす、世界に向けた手紙だからだろうか。もともと紙媒体が好きな大島さんとZINEとの相性の良さも作用したに違いない。

今の大島さんの願いは、ZINE製作をもっと多くの人に体験してほしいということだ。

「ZINE製作を通じて、自分自身を知ってほしいし、自分自身の満たし方を知ってほしい」。

幸せは人それぞれなのに、他の人を見て「理想の幸せ像」を作っている人が多いように感じる。自分の幸せとは何なのか。答えは自分の外ではなく内にある、と大島さんは考える。

「『私はこういう人なんだ、だから、この私でいいんだ!』と納得するための過程がZINE製作なんです」。

makijaku製作室を訪れる人は、自分でも説明できない漠然とした期待を持っていたり、伝えたいことばを携えていたりすることが多い。「私のZINEを作りたいんですけど」という相談が持ち込まれたとき、大島さんはどう対応するのだろう。

「makijaku製作室でZINE製作のすべてをできるわけではないけれど、お手伝いします。他の人よりは知識があるので。私が対応できないことは対応可能な人を紹介するとか、マッチングもできますし」。

答えは、やわらかな笑みと共に返ってきた。

セレンディピティということばがある。思いがけないものを運よく発見することを指すが、大島さんとZINEとの関わり、そしてmakijaku製作室にはセレンディピティということばが似合うような気がしてならない。野心と根性でほしいものをつかみとるスタイルではない。かといって、単なるラッキーな人と分類してしまうのも違う。

人との交わりを通じて、人生の宝物を見つけ出していく感性を持った人。そして、同じようにしなやかな感性を持った人が、生きるためのヒントを見つけられる場所。大島さんとmakijaku製作室について、そう表現したい。

便利であること・効率的であること・早道を選択することが当たり前の世の中で、時間と手間をかけてすこし丁寧に自分自身と向き合う。そんなものづくりを希望する人は、makijaku製作室を訪ねてほしい。

makijaku製作室

開店日と時間は公式インスタグラムでご確認ください。

〒840-0843 佐賀県佐賀市川原町2-7

https://www.instagram.com/makijaku_seisakushitsu/

22+22=44』を手にとりたい人は、makijaku製作室や「本屋ウニとスカッシュ」(ウニスカ)を訪ねるか、ウニスカのオンラインストアでの購入をおすすめします。