Photo by Akinori Hiroki
あえて調律せず、ピアノの「ありのまま」と対話する。
この瞬間、この場所でだけ響く音。聴き慣れないのに、心地よい音。
一音ごとに目覚めていくピアノ、雨、夕闇。最高のシチュエーションだ。
このアコーディオンとの出会いも、偶然だったそうだ。聴衆となれた偶然に、感謝する。
2022年6月5日、環境の日。佐賀市川副町のコミュニティスペース「えんにち」で演奏会が開かれた。
国内外から寄せられた、地球環境と平和へのメッセージを展示する『What a wonderful JUN 嗚呼、なんて素敵な六月』の初日。小雨の降る夕べ、大勢の人が思い思いの姿勢で畳に座り、ひとつの映像に見入っていた。こがよしこさんが各地で演奏した様子を記録したものだ。映像に収められた音を、初めて聴く音と感じたのは、道理である。こがさんは各地の廃校などを巡り、古いピアノで即興演奏する活動を続けている。初めて聴く曲である上に、ピアノの音自体が、歳月を経て極めて個性的になったものなのだ。
「えんにち」の奥の音楽室で、演奏が始まった。約20年間、放置されていたピアノは、あえて調律していない。音楽の知識はまったくないが、調律されていない楽器の不便さは漠然と想像できる。しかし、築200年超の古民家に響いたのは、奏者と楽器とが完全に調和した、圧倒的な迫力の音だったのである。
演奏技術が素晴らしいのはもちろんだが、しなやかな感性なしには、この演奏は実現できないだろう。ピアノの現状をありのまま受け入れる度量と、柔軟さ。
演奏後にこがさんが「ピアノとの対話」ということばを使ったが、モノにも魂があるという、古くからいわれていることばが思い出された。
その後、アコーディオンの演奏が始まったが、このアコーディオンもまた古いもので、骨董屋でひっそり売れ残っていたものだという。雨の音と溶け合う趣ある音楽に皆が聴き入る中、屋外で車のクラクションが一時鳴り響くというアクシデントがあった。明らかに演奏会にそぐわない音であるにもかかわらず、聴衆に苛立ちの色が見られなかったのが印象的だった。ありがたくない偶然さえ受け入れる素直な気持ちが会場に満ちていた証しだろうか。
日常生活ではほとんど自覚がないが、私たちは私たちのために極度に整えられた環境に生きている。自覚がないだけに、自分にとって不都合な状況に出くわすと、それがどんな些細なことであれ、心にさざ波がたつ。バスや電車の到着する時間が遅れるとそわそわする。パソコンやスマホの動作が遅いといらいらする。環境が整えられている幸運に感謝する機会はない。
環境を人間に合わせるのでなく、人間を環境に合わせる。そういう柔軟性こそこれから求められるのかもしれない。