「牛島智子 2重らせんはからまない」 衝動的に別府へと旅立つ前日譚

JR佐賀駅から別府駅までは、特急を乗り継いで3時間だ。片道3時間をかけわずか15時間ほどの別府滞在。11月18日に別府で開催されたイベント「作家がみた別府」の概要と感想は、前回のレポートで書いた。今回は、別府に行くことをほとんど衝動的に決めた経緯を書きとめておきたい。

福岡県立美術館で開催された「牛島智子 2重らせんはからまない」は圧巻だった。40年以上にわたる牛島智子さんの制作活動において、同美術館での展示は初めてではない。しかし、今回は牛島さんにとって初の美術館主催の個展で、それも回顧展なのである。

牛島智子さんは1958年生まれ。八女で生まれ育ち、九州産業大学を卒業した後に上京、Bゼミで学び、1980~1990年代は東京を中心に個展を開催した。1999年、八女に拠点を移して以降は、八女の自然や伝統産業に目を向けて制作している。手漉き和紙や、櫨の実から作る和ろうそくなどが材料またはモチーフとされているのはこのためだ。特にろうそくに関しては「八女櫨研究会」を立ち上げ、自ら櫨の木を育てて実を収穫し、ろうそくを作っている。自分の拠って立つ土地への思い、さらには個人としての暮らしが、制作とじかに結びついている作家といえる。

1日1枚描き上げている小品にも「有明テーブル」のような大作にも登場するのが八女にゆかりの和ろうそくで、今や彼女のライフワークとなっていることがわかる。コンパクトに畳める上に会場ではすぐに広げられる牛のオブジェは、八女和紙で制作されている。割烹着を使ったインスタレーションに浮かび上がるのは、家事と切り離せない女性の生活史だ。東日本大震災をきっかけに制作を始めた山の神・クマと海の神・クジラをモチーフにした作品群では、日本列島を身体に見立てた。身体や土地という逃れられないものに真摯に向き合う姿勢が感じられる。

作品名からしてインパクトがある。一例を紹介すれば、「5m洞」、「異なることのいつくしみ」、「レットウ面」、「クマクジラ」、「クジラ尾」、「かまどとスカートひも」、「セルロース」、……。詩や散文の記された作品のインパクトも絶大だ。思えば、当サイト・potariでも牛島さんの個展をたびたび紹介しており、タイトルのインパクトに打ちのめされてきた。「炭素ダンスでエウレカ」「ねホリはホリdrawing」……心ひかれながらも逃してきた、牛島作品に触れるチャンスが悔やまれる。「佐賀今昔アート 佐賀モバイル・アカデミー・オブ・アート2021」では佐賀市内で和ロウソクと燭台づくりのワークショップが開催されたのに、これまた参加していない。

私のような、回顧展でようやく「美術作家・牛島智子」に出会えた人間にも、牛島さんの来し方を伝えてくれるのが平面作品《KAIKO節》と立体作品《MAYUDAMA》だ。

《KAIKO節》は正三角形に始まって正十二角形まで続く、牛島さんの生年から現在までを振り返ることのできる内容となっている。始まりの正三角形は、牛島さんの生まれた1958年から1960年からの3年間を図形の各辺に配している。次の正四角形には1960年から1963年、正五角形には1963年から1967年、……直前の正多角形と1年だけ重複させながら展示は続く。正十二角形で最後に残った一辺、2023年は空白で、これからのお楽しみというわけだ。

一方の《MAYUDAMA》は、角筒が連なる立体のインスタレーションで、作品の側面に出入口が設けられている。外から眺めるだけでなく、内側から鑑賞できる作品だ。角筒が正三角形から正四角形、正五角形、……という具合に連なっているのは、《KAIKO節》と呼応している。

辺および点をひとつずつ増やしながら多角形を連ねる手法は、牛島さんの作品において繰り返し登場するらしい。エネルギッシュな絵画やインスタレーションは「感覚のおもむくまま」作られたように見えるが、図形や数字と密接に関わっている。この点も作品の魅力だろう。

《KAIKO節》と《MAYUDAMA》を眺めながら、この展示は果たして「個人的な」回顧といえるのか、と考える。

なるほど《KAIKO節》の正多角形に貼られているのは家族写真や学校で書いた作文、通信簿など、極めて個人的なものである。長じると、制作した作品や展覧会の告知チラシなど世間に発せられたものが目立つようになるが、「牛島智子という人物の個人史」にまつわるものである点は変わりない。にもかかわらず、だ。《KAIKO節》で個人史をなぞった鑑賞者は、立体作品《MAYUDAMA》に入り、多角形の連なりを巡っていく中で、遠い他人の個人史が自分史とつながる錯覚に陥る。

ふたつのセンテンスが浮かんでいる。

牛島智子さんが、掘る。

牛島智子さんを、掘る。

どちらが正解かわからない。しかし、どちらにしても、「掘る」作業の結果、予想外に広く深い穴が掘れるのではないか。それは単に深いだけの穴ではない。「不快」に通じる「深い」ではなく、包容力のある穴。たくさんの人間がそこに入れて、深い安心感を味わえるような穴。

安心感とは何か。穴の中でごろりと横になってリラックスする。そういう安らぎかたも認められるだろう。しかしそれだけではない。もっと深い部分での安心が見つかる穴ではないか。突飛な印象を与えるかもしれないが、例えば、悟りの境地のようなもの。自分の源泉を見つけることで、ようやく安心した。自分がどういう人間なのか認識して、ようやく緊張がほどけた。そういう安心感につながる穴。

突飛な思考にとりつかれつつ展示に見入る私に、美術館スタッフの女性が親切に教えてくれた。「あさって別府でワークショップを開催されますよ」。ちょっと遠いですけど……という、やわらかいすすめかた。

牛島さんの作品に触れるチャンスがありながら、そのチャンスをすべてふいにしてきたことは既に述べた。この福岡県立美術館の展示期間中には牛島さんご本人が登壇する対談とクロストークが同館で行われ、さらには福岡市内のギャラリーEUREKAにおいて4日間の個展が同時開催されたが、どちらも終了したタイミングだった。

しかし、「牛島智子入門」は、今からでも遅くはないのではないか。牛島さんの肉声を聞き、その人となりに触れるために別府に行くことを決めた。奇跡のように家庭の都合もついた。この続きが、以前投稿したレポート「牛島智子さんに会いに別府に行ったら想像以上の体験ができた話」ということになる。