紙といえば、どこにでも持ち運べ、すぐに手渡せるのが利点だ。そんな紙のもつ「軽さ」を裏切る不思議な美術作品に出会った。「三島喜美代―未来への記憶」展(2024年・練馬区立美術館)でのことだ。
三島は、1932年生まれの現代美術家だ。具象画を描きはじめ、新聞や雑誌などの印刷物をコラージュした実験的な絵画を発表していた。1970年代に入ると、新聞やチラシ、段ボール箱、紙袋などの「紙もの」を陶で表現した立体作品を手がけはじめる。これらは精巧な作りで、一見すると本物の紙のようだ。
三島は、こうした作品を「割れる印刷物」と呼ぶ。柔らかい紙に見えるが、制作現場では大きな陶土の塊と格闘している。陶の表面にはオリジナルとまったく同じ文字や写真が載っている。印刷物の表面を複製し、シルクスクリーンを使って陶の表面に転写したり、手で彩色し再現しているのだ。
陶を使うが、三島は自身を陶芸家ではなく美術家だと強調する。確かに陶芸作品というよりも、むしろアンディ・ウォーホルの《ブリロ・ボックス》(1964)のような作品に似ている。ウォーホルは、食器洗いたわしの段ボール箱を木の板で模倣し、美術作品として発表した。
三島は、徐々に作品のスケールを大きくし、空間的な作品へと拡張した。大きな作品の中に、少年漫画誌を陶で再現したものがある。雑誌の一辺がおよそ1メートルになるほど巨大だ。そのスケールから、明らかにニセモノだとわかる。それでもなお、雑誌のもつ特徴をとらえていて「紙もの」のたたずまいを放っている
漫画雑誌は、単行本よりもかさばるが軽く持ち運びやすい。本文用紙に使われる再生紙は、古紙比率が高く十分に白くすることができない。そのためピンクやブルーに着色するそうだ。着色カラーが数十ページおきに切り替わっているため、雑誌の小口にはカラフルなストライプ模様が浮かびあがる。三島の巨大雑誌にも、着色された粗い紙の特徴がしっかりと再現されていた。
ただ、三島が作る漫画雑誌は重厚で、一人で持ち運ぶことも気軽に捨てることも難しい。捨てたところで、燃やすこともできず、たやすく朽ちもしない。普段ぞんざいに接している紙の雑誌が、丁寧に取り扱わないと割れる陶の作品として、美術館の展示室に注意深く設置されている。周囲の床には立入禁止の線まで引かれている。安い漫画雑誌が、威厳のある貴重品として鎮座しているおかしさがある。
紙素材への親しみ
そんな作品群を見ていると、手で触れてみたくなる。本当に陶でできているのか。どんな感触がするのか。確かめたくなる気持ちを満たしてくれるように、展覧会場の一角に観客が触れる作品が用意されていた。それは、ジュースの空き缶を再現した陶器だった。持ち上げてみると実物の缶よりも大きく重たい。内部は空洞でしっかり厚みがある。ずんぐりとした缶は、大量生産された製品というよりも、手づくりの工芸品らしさがあり、あたたかく親しみがわいた。
作品の特徴から、三島は「紙の時代」の作家だと言える。初期の作品から一貫して、三島は紙素材に親しみ、表面に載る文字やグラフィックに惹かれている。20世紀は、新聞や雑誌が大量に流通し、情報を得るのに紙が欠かせない存在だった。三島の作品は、大量のゴミを生み出す情報社会への批判として評価されている。しかし三島は厳しく警告するのではなく、遊び心たっぷりに作品づくりを楽しそうに語る。大量に生産され、すぐに捨てられている紙のもつ身近な側面を、三島は実験的な作品を通して取り戻そうとしていたのかもしれない。
三島は、陶の作品素材である陶土もまた限りある資源であると知ると、産業廃棄物を高温処理した「溶融スラグ」などの廃棄物そのものを素材として、ゴミの作品を作るようになった。次の作品では、また別の素材を発見して使ったかもしれない。いつも新しいものを作りたいと言っていた三島は、展覧会の会期中の2024年6月に91歳に亡くなった。