五十嵐威暢(いがらしたけのぶ)は、日本を代表するデザイナーでありアーティストだ。透視図法で立体的なアルファベットを描いたポスターがよく知られている。日常生活でも、PARCOやサントリーの「響」など、彼がデザインした数々の企業ロゴを目にする機会は多い。わたしにとって、五十嵐はあこがれのデザイナーである。そんな彼に出会って、人となりを知ったことは忘れられない思い出だ。
五十嵐は、北海道滝川市に生まれ、多摩美術大学を卒業後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院修士課程を修了。1970年代からデザイナーとして国際的に活動し、千葉大学、UCLAで教鞭をとった。1994年にデザイナー活動を中止し、米国に拠点を移し彫刻家に転身した。2004年に帰国し、2011年には多摩美術大学学長を務めた。
2015年、わたしは五十嵐が企画する「第7回太郎吉蔵デザイン会議」に参加したことがある。
会議のプログラムに、彼のアトリエ「かぜのび」(新十津川町)でのワークショップがあった。アトリエに向かうバスの車内でマイクを取った五十嵐は、新十津川町の歴史を語りはじめた。この地は、奈良県十津川村の住民が移住してできたという。だから「新・十津川町」という地名なのだ。北海道にはこのような地名があちこちにある。移住したのは大きな水害で壊滅的な被害を受けた村民で、船で小樽に渡り、鉄道と徒歩で移住地に向かって原生林を開墾したのだ。その語り口は地元を愛する郷土史家のようにあたたかかった。僧侶のような静謐な雰囲気をまとい、傲りのない率直な人柄が伝わってきた(ちなみに会議のパネリストの錚々たるデザイナーも素敵な方ばかりだった)。
「かぜのび」で見た、テラコッタ彫刻の制作映像には息を呑んだ。いくつかの道具を使い分けながら、粘土の塊の表面にさまざまな模様を彫り出していく。その手は休むことがない。数メートルの大きさの粘土に一貫した模様をつけるために、五十嵐はひたすら粘土と格闘する。一見すると、慎重で丁寧な作業には見えない。むしろ、その時々の勢いに身をまかせているようだ。それでも完成した作品を見ると、完全に設計されていたかのように、びしっと決まっている。「かぜのび」では、合板の作品《こもれび》の制作を会議参加者のみなさんとお手伝いする機会を得た。作品に真摯に向きあい、制作を他者にも開いていく姿勢に多くのことを学んだ。

五十嵐のつくるものはデザインも彫刻も美しい。まるで砂浜から眺める海の水平線のようだ。とてもシンプルなのに、いつまでも見飽きることがない。シャープで幾何学的な形からは、理知的な構造を感じる。一方で、偶然性に身をまかせたような感覚的な即興性もあわせ持っている。両者が絶妙な具合に融合しているのだ。
2018年、札幌芸術の森美術館で「五十嵐威暢の世界」展が開かれた。このとき佐賀に住んでいた私は、五十嵐威暢展を見たい気持ちがおさえられず、まよわず北海道へ行った。
北海道は五十嵐の故郷であり、街には多くの作品がある。JR札幌駅周辺だけでも、南口の複合施設JRタワーのロゴ、コンコースの時計、南口正面に掲げられた「星の大時計」などがある。JRタワー展望室の壁面にはテラコッタの巨大な作品《山河風光》、パセオモールの地下広場には壁面彫刻、丸柱、ベンチからなる、明るさをおさえた憩いの場《テルミヌスの森の広場》がある。札幌芸術の森美術館の前庭には、個展にあわせパブリックアート《Komorebi》が設置されている。五十嵐作品の魅力に目覚めたら、「五十嵐威暢美術館 かぜのび」(新十津川町)にもぜひ足をのばしてみてほしい。廃校となった小学校を利用した気持ちのよい施設だ。ただし冬季は休館しているので、サイトで開館日を確認してほしい。
2025年2月12日、五十嵐はこの世を去った。けれど、いまも日本各地で彼の作品は生きている。