佐賀県有数の温泉どころ・嬉野の「おひるね諸島」で、佐賀市在住のデザイナー・山本翔さんの個展「たんぼに月 IN 嬉野」が開催されています。
『たんぼに月』は山本翔さんのオリジナルコミックス。わがままで自己中だけど憎めない、胃袋のボウヤの冒険を描いた作品です。ブラックサーカスを脱走したサルのアメデオ(仲間たちからは人間と誤解されており、通称『ニンゲン』)・ちょっと天然だけど男気あふれるキャベツ君・整形を繰り返しフレンチプードルの面影を失った大富豪のプーさん・無口で従順な河童のパシリなど、個性あふれる仲間たちが胃袋くんの母親探しに奔走します。
ほのぼのした世界観を、ちょっぴり辛口ながら罪のないユーモアが彩る、愉快な作品です。
「今や誰もが作品を生みだせる時代」と語る山本さん。地方で暮らしながらデザイナーの仕事をすること、そしてオリジナル作品を制作することに障壁はないのでしょうか。お話を伺いました。
クレイアニメに衝撃を受け、制作の道に進むまで
山本さんはこれまでモラージュ佐賀のマスコットキャラクター「モラ子」のキャラクターデザイン、西鉄バスや阪九フェリーのアニメーションなどを手がけてきました。他のデザイナーの作品をアニメーションにすることもあります。佐賀で仕事することに支障はないと山本さんは言い切ります。
「パソコンさえあればアニメーションを作ることは可能です。住んでいる場所に関係なく制作できる時代になりました。僕の場合はデジタルとアナログの両方で制作しています」。
宮城県仙台市出身の山本さんがアニメーションに興味を持ったのは高校時代。プッチンプリンのCMで「ウォレスとグルミット」のクレイアニメを目にして心をつかまれたといいます。
その後、デザインやアニメーションを学ぶために佐賀大学文化教育学部に入学し、美術工芸課程デザイン専攻に進みます。デザイン研究室で興味のあるものをどんどん制作していくうちに、「15分のアニメーションを作るのに3年かかるクレイアニメは現実的ではない」と感じました。一方で、制作のおもしろさにのめりこんでいきます。
山本さんが学生だった2000年代はパソコンが普及し、学生でも1人1台所有できるようになった時代。「映像編集のハードルが下がったのは大きかった」と山本さんは語ります。テレビでは素人の学生が自作の映像をプロクリエイターに審査してもらう番組が放映されるなど、若い人が映像作品を発表することが珍しくなくなってきました。山本さん自身も映像・アニメーションの分野で仕事をしたいとの決意を固めていきます。
そんな中、プロの仕事を知るために休学して東京のアニメーション会社に就職。現場で働くことでプロと素人の違いを痛感しました。退職後に復学し、卒業後は仕事の依頼を受けつつ、オリジナル作品の制作を開始します。その代表格が『たんぼに月』なのです。
「おひるね諸島」がポップに彩られた
展示会場である「おひるね諸島」の壁一面を、『たんぼに月』の名場面を板で立体的に表現した作品群が飾っています。
背景とキャラクターをレイヤーに分けて貼り合わせた労作です。レーザーカッターで板をカットし、着色して4層ほどに重ねています。『たんぼに月』のイラストは基本的に手描きなのですが、手描きではパス(線)の太さを決めづらかったため、ラフ画をパソコンにとりこんでデータ化した上で検証したそうです。
胃袋くんが号泣するシーンは立体感がうまく出たと山本さん自身が認める1枚。枠がない点にも注目です。
『たんぼに月』のオリジナルグッズも販売されています。温泉どころ・嬉野にちなんで手ぬぐいも。
それにしても、『たんぼに月』とはなんとも風情あるタイトルです。漢字を思い浮かべればなぜこのタイトルなのかわかるのですが…ピンときましたか?
地方に住むことが、制作の障壁ではなくなった
コミックスとしてスタートした『たんぼに月』は絵本も発行されており、どちらも展示会場で手に取ることができます。
実はこの絵本、『たんぼに月』のアニメーション化に向けた脚本としての性格があるそうです。コミックスのようにキャラクターの台詞を中心に展開すると、キャラクターの数だけ声優さんが必要な点など、一人で制作するには限界があると感じたため、ナレーションをまじえた形に絵本で再構成したとのこと。アニメーションのイメージは、絵本のページをめくるように1枚ずつ絵が展開していくスタイル。現在は絵を増やしている段階です。今後の展開が楽しみですね。
「ものづくりを応援してくれる環境が佐賀でも整ってきました。今や、ものづくりはより多くの人にとって身近になってきているはずです」と山本さんは語ります。例えば、先に紹介した、板を重ね合わせた作品は、市民に工作機器の利用機会を提供する佐賀市呉服元町のFabLab Sagaのレーザーカッターを利用しました。
「手ぬぐいなどオリジナルグッズの制作もハードルが下がりました。昔は大ヒットしない限りグッズ販売はありえなかったけれど、今はそうでなくても制作販売できるんです」。
さらに、インターネットの普及で情報が手に入れやすくなった点も現代の利点だと山本さんは強調します。ネット上で公開されている制作のノウハウには、プロである山本さんでさえ驚かされることがあるそうです。
穏やかな語り口の中に、制作の楽しさをにじませる山本さん。「好き」を出発点に拓けていく世界が、想像以上に広いことが伝わってきました。オリジナル作品を作る手前でためらっている人は、一歩踏み出してみませんか?
「おひるね諸島」では、山本さんを招いてのワークショップを準備中です。詳しくは「おひるね諸島」の公式Instagramをチェックしてください。