△結構古い、愛用のデミタスカップ。蝶の模様は手描きのようだ。
鹿鳴館、華やかし。文明開化そして、変革の刻。
私が20年近く前、大学の美術史ではあまり明治時代を取り上げなかった記憶がある。
明治時代に視座が与えられたのは、現今制度にある困難の打開策を前時代の再考によること、さらに「令和」という新年号を迎え明治が過去として捉えられたこともあるのではないだろうか?
明治の工芸を牽引し、現在もなおその美意識を伝える、深川製磁。
明治33年(1900年)のパリ万博に出品し、名誉賞金碑を受賞した大花瓶を製作。有田を代表する会社でもある。ここから、明治時代のものづくりを考えてみたい。
世界は蒸気機関の開通や万国博覧会など新時代に沸き、日本国内では廃藩置県後の制度変革の動乱の中。
創業者の深川忠次は時代が移行していく最中にいて、父親の八代深川栄左衛門の牽引力や明治有田焼の美学と、日本が他国に対峙していく術を独自の感性で吸収し、デザインや経営など総合プロデュースを行ったという。
『有田の文様』深川製磁編という、明治33年から大正3年の輸出見本帳を精選した図案集がある。
その解説(深川巌著)に、「深川忠次は、代々深川家に脈々と流れる「良き趣味性」をバックボーンとした製陶思想を持っていた、次の時代の到来を予告している。彼は、磁器の手工芸を組織化し、工業生産の合理化を得意とする産業人でもあった。製品は繊細で、明快な色彩感覚を持ち、感情のみづみづしさにあふれている世界を創り、かたちは便利、堅牢を根底にデザインされ、決して大衆的商品と言えないが、成金趣味のものでもなかった。日用品としても使い易さを根底にしながらも「美術品は採算がとれる」ということを実行し、以前には存在しなかった需要を、社会によびおこすことにつとめた」とまとめている。
ここからはJ・ラスキンやW・モリスに通じるような社会変革も込めた工芸思想に近いものを感じる。それと同時に、「美術品」としての品格を器に込める、日本的工芸のものづくり、技術力へのこだわりがあるのは注目したい。
明治工芸にある「超絶技巧」。
日本の工芸には、技術力の高さが芸術であると解釈が裏にあったのも確実だが、それ以上に「職人のものづくりに対する誇り」を大事にする文化があったのではないだろうか?
藩からの絶対的な指示だけではなく、自由に技術を誇り発揮でるようになった幕末明治期になると、作者の銘を入れるものが出てくる。製作者の技が注目され、一つのブランドであったのだろう。パリ万博出品の大花瓶についても轆轤大物の名士「井出金作」であったということが伝えられている。
職人の技芸を賛美する思想は今も連綿と引き継がれ、絵付けの伝統工芸士の在籍率がありたの中でも一番多いなど、技術継承を会社の指針に据えているという。
社会的思想を兼ね備えて生産し、職人の技芸に対し評価を与えることが、江戸期とは違う、明治近代のものづくりであり、さらに現代にもある工芸観と言えるのではないだろうか。
伝統技術を大切にしていく手法は、忠次の時代からの美意識と有田焼にある職人の誇りを引き継ぐように、この会社にあるのだと思う。
個人の技芸をもって会社の目指す美術工芸品を作ること。
125年前から変わらず続く、ものづくりの思想が保存され商品となって、今も手に取ることが出来るというのは、産業構造が簡便化されていく中では大変な努力を必要とするだろう。けれど、深川製磁でなくては表現できない美しさとなり、私たちを魅了して止まないのだ。
有田を訪れる際には、是非、訪れてもらいたい場所でもある。