我が家ではお正月やお客様のとき、おもてなし用の器が深川製磁だった。母が大切に扱っているのを見ながら、子ども心に特別な物だと憧れを抱いたものだ。大人になり、今から十数年前建材会社の企画室勤めだった頃、仕事でインテリア雑誌を読みあさっていた。その時ふと眼にとまったサローネの記事があった。深川製磁が高い評価を得ているらしい。記事とともに掲載されていたランプの写真にとても心惹かれた。落ち着いたモノトーンの中に華やかさがある和モダンの作品がとても素敵で、評価されていることが誇らしく思えたものだった。それ以来深川製磁に興味深々で、この窯元をテーマに有田を訪れる事になり、ワクワク嬉しくて小躍りしそうだ。
10/26(土)、いいお天気。まずは、チャイナ・オン・ザ・パークを訪れる。案内の方を待つ間、パーク内にある深川最大のアウトレットの店先で商品を見せてもらう。「あーっ、 やっぱり素敵」と思わずときめいてしまう。器を見るだけで、幸せな気持ちになるから不思議なものだ。パークでは主に忠次館を見学した。案内して頂いたのは、マネージャーの太田さん。とても丁寧なガイド、ありがとうございました。忠次館は、深川製磁の初代、有田焼の巨大な大花瓶をパリ万博に出品した深川忠次氏にちなんだ展示館で、建築家 柿沼守利(かきぬま しゅり)設計の美しい建物だ。春になると二代目の夫人トシ子さんが愛したラベンダーが、山の斜面に咲き乱れる。その横のゆるやかな階段を上るとレンガ造りの建物にたどり着く。大きなガラスの扉を開くと天井の高い展示室があった。3段に分かれたフロアの1・2段目は展示販売、3段目は資料展示フロアで、パリ万博で金賞をとったあの巨大な大花瓶もあった。2階にはカフェもある。
ガイド役の太田さんに、十数年前に雑誌で見たサローネのランプの事を尋ねてみる。なんとそれは2段目のフロアに展示販売されていた。このランプの作家は、現窯主の夫人である深川惠以子(ふかがわえいこ)さん。このシリーズでお皿やカップなどの展開もあり展示販売されていた。艶やかな陶磁器と質感が違うマット感のある黒との組み合わせが技術的に難しいらしい。オーソドックスな深川とはまた違った魅力のモダンなデザインが美しい。心惹かれたランプの作家を知ることができ、私にとって大きな収穫だ。
忠次館を出て、お昼はパーク内のレストラン究林登(くりんと)でカレーセットを食べた。陶器の板が並ぶアプローチや扉のランプがおしゃれ。カレーを各々違う深川製磁の器で出されるから楽しい。器は、お客さんの雰囲気で選ばれるのだろうか? 味はスパイシーで本格的。美味しくて、娘を連れてまた来ようと思った。
次は、骨董店の椋露地(むくろじ)へ向かう。移動中、タクシーの窓から煙突が並ぶ町並み。有田ならではの風景だ。古びた建物が並ぶが、廃墟化しているのではなく、生活感が感じられる。陶磁器の文化と産業が、しっかり暮らしを支えているからなのだろうと思えた。椋露地は、有田焼きの骨董を扱うお店で、小高い山の上に建つ。店主は、江戸明治期の骨董をヨーロッパなどへ買い付けに行かれる。パリでは、地下にお店があり一見では分からないそうだ。仕入れた先から売れてしまうので、商品はあまり店頭に残らないなどと話された。椋露地さんと深川家の人々とは、幼なじみでレアな話も聞ける。パリ万博で金賞をとったあの有名な大花瓶の文様を、窯主の深川一太さんは好きではないという。しかし、先日香蘭社の骨董の文様を見せた所、ルーツを納得したと話されたらしい。ここでしか聞けない話だ。
最後に、本丸の深川製磁本店へ。残念ながら土曜日のため、工房はお休みで見学できなかった。平日なら可能だったらしい。特別に窯芸本部執行役員の深川泰(ふかがわやすし)さんからお話を聞くことができた。宮内庁御用達の深川製磁は、香蘭社の次男だった深川忠次(ふかがわちゅうじ)さんが設立。当初からの有田焼を世界へとの志が、富士に流水のロゴマークからもうかがえる。忠次さんは全国から名工を集め1894年設立の6年後、1900年のパリ万博へ出品、金賞を受賞する。プロデュース力のある方だったのだろう。有田の総代的立場を自覚されていたようだ。昔から絹や金と同様に輸出業で、有田の陶磁器は価値があった。どこまでも白く美しく、吸い付くような口縁やすっぽり手に収まりの良い形の良さ。私たちが欧米の文化に憧れを抱くのと同様に、器用で勤勉な日本人の作る陶磁器は、欧米のジャポニズムへの憧れがつまったものだったらしい。
設立当初から世界視点である有田焼は、深川製磁の原点だろう。ジャポニズムを理解することで、更にオリジナリティが確立されているのではないかと思う。深川の器は、手に持った時少しひんやりする。焼成の温度が高いため、硬度が少し高いからなのかもしれない。深川製磁ならではのカタチや色。この高い品質が身近にあることに感謝しかない。