『地獄変』に見る芸術至上主義の極致

 皆さんはかの「芥川龍之介」の作品を読んだことはあるだろうか。

 芥川龍之介と言えば、近代文学を語る上では欠かせない著名な文豪である。短編の作品が教科書に掲載されているために、『羅生門』『鼻』『蜘蛛の糸』などの作品に授業で触れた経験がある人も多いことと思う。

 今回はその芥川龍之介の著作の中で、私が特に気に入っている『地獄変』という作品とその魅力について語っていく。

芥川作品における『地獄変』の位置付け

 芥川龍之介の作風は初期と晩年では大きく変化しており、初期は古典を題材とした短編が多いのに対して晩年は生死をテーマにした作品が目立つ。

 『地獄変』は中期の作品で、中期の芥川作品には芸術至上主義を取り挙げた作品が多く見られる。『地獄変』もその例に漏れず、芸術至上主義を題材にした作品である。

『地獄変』の概要

 『地獄変』は宇治拾遺物語の『絵仏師良秀家の焼くるを見て悦ぶ事』がモチーフとなっている。

 先に中期芥川作品の特徴として述べた芸術至上主義は、社会的思想・倫理など世の中の一切のことに縛られず、ただ美を追求するための芸術――いわば「芸術のための芸術」を理念に掲げているが、『地獄変』の良秀も世間の倫理観に囚われることなく自身の思う「美」を追求する人物である。芥川の書く良秀はまさしく芸術至上主義を体現した存在と言えよう。

 また『地獄変』は堀川の大殿に仕える「私」を語り手に据えた独白調の物語だが、この物語は「信頼できない語り手」という技法を用いて書かれている。

 「信頼できない語り手」は公正な第三者の視点ではなく、偏見や思い込みなどが含まれた作中の人物の主観で物語を描写して読者を惑わす技法である。『地獄変』では語り手の「私」が堀川の大殿に心酔しているために、堀川の大殿を過剰に美化した描写が見られる。

『地獄変』に描かれた人間の狂気

 『地獄変』を語る上で欠かせない要素は、良秀の芸術に対する狂気にも似た執念であろう。

 良秀という人物は、宇治拾遺物語の『絵仏師良秀家の焼くるを見て悦ぶ事』では隣家の火災を見て「これまで不動尊の火焔を下手に描いていた」「今見れば、このように燃えるものかとわかったのだ」「これこそ儲けものだ」と笑っており、その後本物の炎を参考にして見事なよじり不動を描いた旨が記されている。

 隣家の火災を喜んで見るだけでも世間一般的な倫理の枠から外れているが、この時隣家から上がった火の手は良秀の自宅にも及んでおり、自宅の中には依頼されて描いた仏の絵や自身の妻子も取り残されていた。妻子の安否を気にかけるのではなく、自身の芸術に対してインスピレーションを得たと歓喜する様は、芸術という名の狂気に取りつかれている風にも見えるかもしれない。

 そして『地獄変』の良秀もまた原典の良秀に勝るとも劣らぬ狂気を宿した人物となっている。芥川が描いた良秀の人物像を作中の描写から追っていこう。

良秀の狂気と人間性

 作中で良秀は堀川の大殿から地獄変の屏風を描くよう命じられるが、良秀は地獄の亡者を描くために弟子達を鎖で縛ったり、ミミズクに追い回させたりと様々な責め苦を与えている。

 さらに地獄変の屏風を描く以前も、何かに取り憑かれたかのような恐ろしい形相で宣託を下す巫女や往来に転がる死体を精密に描き写した絵を描くなど、世間の倫理よりも自身の芸術を重んじる人物であることがうかがえる。

 しかし、一方で良秀は芸術のためならばどこまでも非情になれる人物ではなく、人間としての心も持ち合わせていたかのような描写もされている。その最もたる例が良秀の娘である。

 良秀は妻の忘れ形見と思われる一人娘を溺愛しており、小女房となった娘が堀川の大殿に目をかけられた時には娘の身を何より案じて、仏画を描いた褒美の代わりに「娘を御前から下げて欲しい」と大殿に要求するほどだった。これらの描写から、良秀は娘の前では何よりも我が子を思う一人の父親であったと推察できる。

堀川の大殿の実像

 『地獄変』の語り手である「私」は作中にてさまざまな悪評を引き合いに出し良秀を傲岸不遜な人物だと語っているが、一方で堀川の大殿は「後の世にもおそらく二人といない」「壮大、豪放にして、到底私どもの凡慮には及ばない思い切ったところがある」「下々のことまでお考えになる大腹中の御器量がある」などと褒めそやす部分が見受けられる。

 しかし、語り手の「私」に大人物として語られている堀川の大殿は、本当に噂に違わぬ名君なのだろうか。少なくとも、いち読者である「私」はそう考えてはいない。

 第一に、語り手の「私」は冒頭で大殿の性行――すなわち性質や振る舞いを始皇帝や煬帝と比べるものもあると語っている。秦の始皇帝も隋の煬帝も儒者の弾圧や残虐刑の執行など、苛烈な振る舞いで知られる皇帝である。堀川の大殿はこの二者を想起させるほどに恐ろしい一面を持つ人物だった、と考えることはできないだろうか。

 さらに疑惑を深めるのは、良秀の娘の扱いである。語り手の「私」は堀川の大殿が娘を気に入った理由について、娘が「良秀」と名付けられて屋敷中から笑いものにされていた小猿に情けをかけたために「孝行恩愛の情を御賞美なすった」と考え、「大殿様は良秀の娘に懸想なすった」「色を御好みになった」という世間の噂を強く否定している。

 世間の噂は根も葉もない風説と考えることもできるが、こうした噂は度々「私」の語りの中で触れられている。また、物語の中盤では良秀の娘が誰かに手籠めにされそうになっていたと解釈できる場面さえあるのだ。

 娘を襲った相手の正体は作中ではっきりと示されていないが、「大殿様が娘を御意に従わせようとしていらっしゃる」「地獄変の屏風の由来も、実は娘が大殿様の御意に従わなかったからだ」と噂されていることから、堀川の大殿が良秀の娘を我が物にせんとしたのではないかと推測できる。

 自分の意のままにならない娘と、娘を自分から遠ざけようとする良秀。堀川の大殿がこの二者に対して不満を募らせていたことは想像に難くない。堀川の大殿が心中に抱えた澱みと良秀の芸術にかける執念が引き合わされた結果、地獄変の屏風にまつわる悲劇が起こってしまったのであろう。

堀川の大殿と、良秀の「狂気」

 堀川の大殿が良秀に地獄変の屏風を描くよう命じたのは、「娘の事から良秀の御覚えが大分悪くなってきた時」の話であった。

 良秀は地獄変の屏風を描くために、弟子を亡者に見立てて地獄の責め苦に苦しむ姿を絵に写した。また、地獄の獄卒達も「夢現に何度となく、私の眼に映りました」として、よく見ている物だから描けると語った。しかし、良秀はどうしてもひとつ描けないものがあるとして、描けないものを実際に見せて欲しいと堀川の大殿に頼み込んだ。

 それが、「檳榔毛の車が一輛空から落ちて来る」姿である。良秀は猛火に焼かれ、車の中で悶え苦しむ一人の女を描くので自分の目の前で檳榔毛の車に火をかけて欲しいと口にした。すると堀川の大殿は突然けたたましく笑いだし、言う通りに女を乗せた檳榔毛の車に火をかけてやろう、と良秀の申し出を受け入れた。

 この場面において注目したいのは、良秀と堀川の大殿の様子の変化である。まず、良秀を描写した文章を抜粋してみよう。


「私は屏風の唯中に、檳榔毛の車が一輛空から落ちて来る所を描かうと思つて居りまする。」良秀はかう云つて、始めて鋭く大殿様の御顔を眺めました。あの男は画の事と云ふと、気違ひ同様になるとは聞いて居りましたが、その時の眼のくばりには確にさやうな恐ろしさがあつたやうでございます。


良秀は例の赤い唇を熱でも出た時のやうに震はせながら、夢を見てゐるのかと思ふ調子で、

「それが私には描けませぬ。」と、もう一度繰返しましたが、突然噛みつくやうな勢ひになつて、

「どうか檳榔毛の車を一輛、私の見てゐる前で、火をかけて頂きたうございまする。さうしてもし出来まするならば――」


 檳榔毛の車の話を出した時から、良秀はどこか狂気じみた恐ろしさを持って大殿に語りかけている。

 そして大殿も、最初こそ覇気のない様子で嘲るような微笑や苛立った態度を見せていたが、途中から態度を一変させる。


 大殿様は御顔を暗くなすつたと思ふと、突然けたたましく御笑ひになりました。さうしてその御笑ひ声に息をつまらせながら、仰有いますには、

「おゝ、万事その方が申す通りに致して遣はさう。出来る出来ぬの詮議は無益の沙汰ぢや。」

 私はその御言を伺ひますと、虫の知らせか、何となく凄じい気が致しました。実際又大殿様の御容子も、御口の端には白く泡がたまつて居りますし、御眉のあたりにはびく/\と電が走つて居りますし、まるで良秀のもの狂ひに御染みなすつたのかと思ふ程、唯ならなかつたのでございます。それがちよいと言を御切りになると、すぐ又何かが爆ぜたやうな勢ひで、止め度なく喉を鳴らして御笑ひになりながら、

「檳榔毛の車にも火をかけよう。又その中にはあでやかな女を一人、上﨟の装をさせて乗せて遣はさう。炎と黒煙とに攻められて、車の中の女が、悶え死をする――それを描かうと思ひついたのは、流石に天下第一の絵師ぢや。褒めてとらす。おゝ、褒めてとらすぞ。」


 この常軌を逸した大殿の反応を前にすると、良秀はまるで毒気を抜かれたように弱々しい態度に変わってしまう。


 大殿様の御言葉を聞きますと、良秀は急に色を失つて喘ぐやうに唯、唇ばかり動して居りましたが、やがて体中の筋が緩んだやうに、べたりと畳へ両手をつくと、

「難有い仕合でございまする。」と、聞えるか聞えないかわからない程低い声で、丁寧に御礼を申し上げました。


 常軌の場面で、堀川の大殿は良秀の狂気に伝染したと考えられないだろうか。

 そして、狂気が結実した先に起きたのが例の悲劇である。堀川の大殿は良秀の申し出を受けた数日後、約束通りに檳榔毛の車が焼けるところを見せると言って良秀を呼び寄せた。しかし車の中には、良秀の娘が乗せられていた。

 ここでもまた、良秀と大殿の様子は対照的になっている。普段よりもずいぶん小さく哀れな姿に見える様子の良秀と、どこか残忍にも思える堀川の大殿。しかし両者の態度は、車に火がかけられた後に一変する。

 大殿に車の中の娘を見せられた時、良秀は血相を変えて車のほうへ駆け寄ろうとした。そして車が炎に包まれると、恐れと悲しみと驚きをその顔に映して食い入るように車を眺めていた。一方で大殿は、固く唇を結びながらも時々気味悪く笑って車を見つめていたと描写されている。

 だが、直後に娘が可愛がっていた小猿の「良秀」が火の中へ飛び込み、娘と小猿の姿を覆い隠すように炎が燃え上がると、良秀は「恍惚とした法悦の輝き」を浮かべていたのである。反対に堀川の大殿は、「御顔の色も青ざめて、口元に泡を御ためになりながら、紫の指貫の膝を両手にしっかり御つかみになって、丁度喉の渇いた獣のように喘ぎつづけて」いた。

 一体、ふたりの心境にはいかなる変化があったのか。私が思うに、良秀は目の前の凄惨な光景によって本物の「狂気」にたどり着いてしまったのではないだろうか。

 良秀は倫理よりも芸術を重んじる一方で、自身の娘は人並みに愛し、その身を案じていた。また、堀川の大殿に車に火をかけて欲しいと頼んだ時も、良秀は「車の中に女を乗せてほしい」とは口にしていなかった。

 「もし出来まするならば」と言いかけていたところを見るに、自分から言い出そうとしていた可能性はある。しかし続きを言う前に、大殿が先を越すように女を乗せてやると答えてしまった。大殿の言葉に平伏する良秀を見て、語り手の「私」はこう語っている。


これは大方自分の考へてゐた目ろみの恐ろしさが、大殿様の御言葉につれてあり/\と目の前へ浮んで来たからでございませうか。私は一生の中に唯一度、この時だけは良秀が、気の毒な人間に思はれました。


 おそらく、この時点では良秀の芸術への狂気はまだ一線を越えていなかったのであろう。地獄変の屏風を描くために弟子を痛めつけはしても、人を焼き殺すことには抵抗があったに違いない。

 しかし、燃え盛る炎の中に己の描かんとしたもの――自身の思う「美」を見たために、心中に抱えていたためらいや苦悩が霧散し、ただ芸術家として歓喜したのだ。

 ためらいを捨てた良秀は芸術のためにすべてを捧げた人間となり、まさしく「芸術至上主義」の体現者となった。車が炎に包まれる以前の段落から、良秀の変化は度々示唆されている。

 例えば、「私」が地獄変の屏風の恐ろしいばかりの出来栄えについて感想を漏らした時。「私」は屏風の由来に思いを馳せ、良秀の行く末をこう語っている。


 あゝ、これでございます、これを描く為めに、あの恐ろしい出来事が起つたのでございます。又さもなければ如何に良秀でも、どうしてかやうに生々と奈落の苦艱が画かれませう。あの男はこの屏風の絵を仕上げた代りに、命さへも捨てるやうな、無惨な目に出遇ひました。云はゞこの絵の地獄は、本朝第一の絵師良秀が、自分で何時か墜ちて行く地獄だつたのでございます。……


 さらに、良秀が地獄変の屏風を描いている時、良秀の弟子は悪夢にうなされる良秀が不気味な独り言を言うのを聞いている。


「なに、己に来いと云ふのだな。――どこへ――どこへ来いと? 奈落へ来い。炎熱地獄へ来い。――誰だ。さう云ふ貴様は。――貴様は誰だ――誰だと思つたら」


「誰だと思つたら――うん、貴様だな。己も貴様だらうと思つてゐた。なに、迎へに来たと? だから来い。奈落へ来い。奈落には――奈落には己の娘が待つてゐる。」


 上記の台詞の中にある「地獄」とは、芸術家としての「極致」を指しているとは考えられないだろうか。

 己の心身のみならず、他人の命―愛する娘を捧げた先に、自身の芸術の到達点がある。ありとあらゆるしがらみから解放され、ただ芸術にのみすべてを捧げてこそ、真の芸術が完成する。故に良秀は「奈落には己の娘が待っている」と夢の中で口にしたのである。

 そして良秀は、娘の断末魔を目の前にしてついに常人には狂気としか思われない真の芸術の世界に足を踏み入れた。しかし堀川の大殿は、良秀と同じ地獄にはたどり着けなかった。

 作中の描写から察するに大殿は自身を拒んだ娘を焼き殺し、その様を良秀に見せて鬱憤を晴らそうとしたものと思われる。だが、良秀が狂気の先へ至った時に大殿は苦しむような様子を見せていた。

 おそらく、大殿は良心の呵責に苦しんでいたのだろう。あまりにも凄惨な光景に自身のなした所業の恐ろしさを思い知らされ、良心というしがらみにとらわれたために地獄へ墜ちきれなかったのだ。

 娘の死を嘆く心よりも、自身の理想とする「美」にめぐり会えた喜び―芸術への執念を勝らせた良秀だけが、ひとり地獄に墜ちて芸術の極致へと至った。「私」が地の文で語った「円光の如く懸かつてゐる、不可思議な威厳」は、良秀が常人には手の届かない高みへ上りつめた証だったに違いない。

良秀の末路と「芸術至上主義」の孤独さ

 先の炎の場面で、良秀はとうとう地獄に墜ちた。そしてその一月後に、良秀は地獄変の屏風を完成させた。

 良秀の描いた地獄変の屏風は他の画師が描いたものとは比べ物にならないほどの出来であり、屏風の中に描かれた地獄の迫力に誰もが心打たれ、良秀を悪く言う者は―少なくとも「私」の周りにはほとんどいなくなった。

 しかし、地獄変の屏風を描き上げた翌日、良秀は自室で首を吊って自死した。「私」は良秀が死した理由について「娘に先立たれ自分だけが安閑と生き永らえるのが堪えられなかった」と推測しているが、『地獄変』の主題である芸術至上主義を念頭に置いて考えれば違う可能性が見えてくる。

 読者の私が思うに、良秀は自身にとって最高の美を完成させたために死を選んだのだ。芸術とは終わりなき美の追求、終着点の見えない孤独な旅路である。

 だが、もし仮に「これ以上のものはない」と思うほどの最高傑作を生み出せたとしたら?以後何年、何十年をかけて心血を注いでも、決して超えられはしない究極の美に行き着いたとしたら――まさにその瞬間、「芸術」は終わりを迎えるのではないだろうか。筆や工具を取って美の形を模索しなくとも、己が理想とし思い描いた美はすでに自身の手の内にあるのだから。

 美を追い求めるという動機を失ってもなお道楽として創作を続けられるか、あるいは芸術の他に何か縋れる存在があるならば、目的を失くしたところでさして問題にはならない。だが、世間のしがらみを離れありとあらゆる繋がりを絶ち、芸術だけに己がすべてを捧げて生きていたのなら話は変わってくる。

 孤高とはすなわち、己以外の何にも頼ることができず世界から隔絶された状態である。己を頼りにできるうちはいいが、たったひとりが崩れてしまえばあとは誰も支えてくれるものがなくなってしまう。

 生きる支えとなる目的や希望を持たずに生きていけるほど、人は強い存在ではない。芸術のみを拠り所とし、外界との繋がりを残らず捨ててしまえば、芸術を失った後はただぼんやりと死を待つだけの抜け殻となるだけである。良秀は芸術の極みに至り、自身の限界を見たために死を選んだのだろう。

 芥川龍之介の『地獄変』は、単に人間の悲劇を描いただけの作品ではない。己の描いた地獄へ墜ちていった画師・良秀を軸に、芸術至上主義の極致とその果てにある奈落を描いた作品である。