エキソニモの作品は死なない アン・デッド・リンク 東京都写真美術館

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  • アバター画像   BY  杉本 達應 プログラムが生みだすビジュアルをこよなく愛する、potariの旗振り人。

東京都写真美術館で開催されているエキソニモの個展を堪能してきた。

エキソニモ UN-DEAD-LINK アン・デッド・リンク
インターネットアートへの再接続
東京都写真美術館(目黒区)

展覧会のビジュアルは、文字による構成が巧みな水戸部功のデザイン。

エキソニモをご存知だろうか。東京、福岡を経て、現在はニューヨークを拠点としている二人組のアーティストだ。活動する分野は脱領域的だが、一般的にネットアートやメディアアートとよばれる領域にちかい。

メディアアートはメディア技術を使っているために、ともすれば斬新な技術をいちはやく採用する「工学的」な表現や、エンターテインメント産業と結びついたサービスや商品の開発に向かいがちだ。メディアアート単体でマーケットが成り立ちにくい日本では、こうした傾向が顕著だ。そのなかでエキソニモは独自の活動をつづけていて異彩をはなっている。

エキソニモは、ネットやデジタル機器を表現の媒体にしながらも、決して仮構の世界にとどまろうとしない。むしろリアルな物質や身体、生死など、現実空間をつよく意識している。深刻な側面もありつつ、ユーモアもアイロニーもこめた絶妙なバランスのうえに成りたった作品が魅力だ。

こうしたエキソニモ作品の特徴は展覧会の会場構成にもあらわれていた。展示室の床面には5色のLANケーブルが床を這い回っている。5つの色は、作品のキーワードに対応し、それぞれインターネット、プラットフォーム、インターフェース、ランダム、境界をあらわしている。作品の展示場所まで到達したケーブルの色が、作品のタグを示しているという仕掛けだ。会場内を歩き回るには、床にあるケーブルをよけ、またがっていかなければならない。ふだんならスクリーン上の「リンク」をクリックやタップするだけで航行(ナビゲート)できる仮想的なサイバー空間が、ここでは足を使って慎重にたどる現実空間に置き換られている。

展覧会タイトルの「アン・デッド・リンク」には、古いWebページへの参照ができなくなった「デッドリンク」を再接続するという意味が込められている(ちなみに同名の作品もある)。このタイトルの通り、かなり古いものもふくめエキソニモの歴代の作品がよみがえっている。懐かしいブラウン管モニターも、ここでは何事もないように動作していてちょっとしたタイムスリップ感が味わえる。

ひとつだけ作品を紹介したい。《Natural Process》(2014)は、Googleのトップページを絵画にするプロセスを記録した作品だ。インターネットの象徴的イメージであるGoogleのトップページを、そっくり巨大絵画として描き、その制作過程をWebカムを通じてネット中継する。ネットのイメージをアナログ化すると同時に、デジタルの世界にふたたび戻している。完成した絵画は、Google社が購入し所有している。今回の展覧会で作品を借りようとしたが、新型コロナウイルスの影響でオフィスに立ち入ることができず、借りられなかったという。そのため展覧会には絵画そのものはなく、経緯を説明したテキストなどが掲示されている。

ところでGoogleは現在世界シェア1位のウェブブラウザ「Google Chrome」を公開している。しかしこの作品が作られた当時、Chromeは存在していなかった。現在結果的に、この絵画には競合製品である「Internet Explorer」のウィンドウが描かれたことになる。そのため、いまではGoogle社内でも展示されていないようだ。もともとこの作品はプロセスを記録したものであり、その旅に終わりはなく現在も進行している。サーチエンジンやウェブブラウザの浮沈とともに、作品の運命も変わっていくのかもしれない。

メディアアートは刻々と変化する時代状況を反映している。エキソニモのように存命の作家がつくる新しい作品を、同時代に体験できるのは貴重だ。今回の個展では、1990年代の作品から最新作までがならんでいる。世のなかのデジタル機器は変化し陳腐化をくり返しているのに、刹那的にもみえるエキソニモの作品がむしろ死なずに生き残っていることに気づかされた。

大規模な回顧展だが、すべての作品・プロジェクトが網羅されてはいなかった。可能ならば、個人的なメディア経験をふりかえりながら、エキソニモの完全な「アン・デッド・リンク」を一度に体験したくなった。

展覧会は10月11日まで開催中。ネット会場でも作品を体験できる。