佐賀のお祭り「浮立」に出会う ~富士町・「浮立の里展示館」~

  • report
  • アバター画像   BY  秋山沙也子 佐賀県立美術館学芸員。この道まだ3年目、佐賀に暮らして5年目。

「浮立(ふりゅう)」。この不思議な響きの名前を持つお祭りのことを、佐賀に引っ越してきて初めて知った。

長崎県と筑後地方の一部を除けば、全国でも佐賀県近辺にしか分布していないという祭り「浮立」は、主に雨乞いや収穫への感謝の意を込めて農村部で神に奉納され、代々伝承されてきた舞楽である。鬼の面をつけて勇壮に舞う「面浮立(めんぶりゅう)」、太鼓や鉦を打ち鳴らして囃す「鉦浮立(かねふりゅう)」、地唄が中心となる「一声浮立(いっせいふりゅう)」、集落内を練り歩く「行列(道行)浮立」、獅子舞の踊りが奉納される「獅子舞浮立(ししまいふりゅう)」など、地域によって多彩な形態があるのが特徴だ。古いものでは数百年の歴史があるものもあるという[1]

県庁に勤めていた頃、民俗芸能の記録映像を撮影する仕事(『さが歳時記まつりびと』)で、いくつかの浮立の様子を準備を含め、拝見したことがある。毎年秋になり、金色の稲穂の波が大地を染める頃になると、各地区でお祭りの準備が始まる。公民館や寄合所で太鼓や笛の音が響き、子どもたちが舞の練習に精を出す。そして迎えたお祭り本番での、どの人もどの人も晴れやかな上気した表情…。そこに暮らす人々にとっては、収穫の喜びとともに住人総出で迎える一年に一度きりのハレの日、それが浮立のお祭りなのだろう。

私の勤める県立博物館にも、民俗資料の展示室はあるが、浮立に関する資料は現在のところ少なく、残念ながらあまりご紹介する機会がないのが現状だ。しかし、佐賀市富士町の山奥に、浮立に特化した資料館があるという。
いったいどんなところなのだろう。折しも浮立シーズン直前の10月のよく晴れた秋の日、訪れてみることにした。

古湯温泉を通り過ぎ、国道37号線を天山方面へ山の奥へ奥へと車を走らせていくと、目的地の「浮立の里展示館」が林の中に見えてくる。
この展示館が建つ市川集落は、浮立の中でも特に規模が大きく、古い型を伝承しているといわれる「市川の天衝舞浮立」(県重要無形民俗文化財)の本拠地として知られており、同館から500mほど離れたところに、毎年秋に天衝舞浮立が奉納される諏訪神社が鎮座している。

見晴らしのいい高台にある入口まで登り、中へ入る(入場料はなんと100円!)。
館内では、まず映像ブースに案内された。ここで富士町に伝わる5つの浮立の映像をじっくり観ることができる。

館内の様子。明るく開放的な空間。

数ある浮立のバリエーションのなかでも、特に珍しいビジュアルを持ち、佐賀平野周辺のみに伝わる浮立、それが「天衝舞浮立(てんつくまいふりゅう)」だ。
真っ先に目を引くのが、中心となる舞人が身に着ける、クワガタのような形をした巨大な白い頭飾りだ。踊り手の背丈と同じほどはあろうかという、この大きな頭飾りを自在に操りながら、踊り手はダイナミックに舞い、文字通り「天を衝く」。クワガタの真ん中には朱の円が描かれ、一説には「月」と「太陽」=宇宙を表しているのだという[2]。中心となる「テンツキ」と呼ばれる大きな頭飾りは操作の難易度が非常に高く、その舞はまさに熟練の技によって受け継がれるのだそうだ。

「浮立の里展示館」のある佐賀市富士町に現在伝わる5つの浮立のうち、3つがこの天衝舞浮立、2つが鉦浮立だというが、映像を観ているうちに、各集落ごとに独特でおもしろいスタイルがあることが分かってくる。例えば、杉山地区の「杉山天衝舞浮立」には、男たちによる勇壮な棒術が同時に奉納される。「古湯の鉦浮立」では、色紙で華麗な花笠を作り、特に華やかだ。まさに浮立とは、その土地に住む人々とともに育ってきたお祭りなのだ。

「古湯の鉦浮立」の色鮮やかな花笠。「浮立の里展示館」で紹介されている5つの浮立の中でも、この地区のみに見られる特徴だ

展示コーナーでは、各集落の浮立の伝統的な衣装や楽器、実際の祭りの様子を写真パネルで見ることができる。一口に浮立といっても演者もさまざまな人がいて、「モリャーシ」と呼ばれる太鼓方、鉦方や笛方などの演奏者たちに加え、扇子舞を奉納する踊り手の女性たち、それに集落によっては棒術の踊方や「にわか」の演者など、役割ごとに実に衣装も個性がある。そして、あの「テンツキ」は間近で見るとその迫力のなんと圧倒的なこと!

「天衝舞浮立」の代名詞ともいえる被り物「テンツキ」をかぶった舞人。
個性豊かな衣装の数々。マネキンの姿勢には、舞楽の動きが再現されている

どの衣装も色彩豊かで、実に華やかだ。これだけ華やかなデザインは、ひと昔であればさぞ贅沢だっただろう。美しいものを追い求める人々の気持ちは、古今を問わず変わらないのだなと実感する。

館員の方が「新型コロナウイルス感染症の影響で、今年はどの地区も浮立の奉納ができなくて…」と肩を落としていた。
数百年を経て世代から世代へ受け継がれてきた浮立は、まさに地区のアイデンティティそのものだ。情勢が情勢とはいえ、そんな年に一度の、大切なお祭りを開催できない無念さは、考えるだに余りある。来年こそは無事開催できることを願うばかりだ。

それぞれの浮立の特徴や来歴も、壁面で詳説されている。実際に祭りで使用された楽器や持具なども展示されている

神々や自然と相通じ、末永い豊穣と安寧を祈る浮立から私は、天災や自然と隣り合わせで生きてきた人々の切実な祈りとともに、人間らしい喜びや楽しみ、美しく崇高なもの愛でる心を感じた。さらに親から子へと受け継がれてきた楽の音、舞の振り、贅を凝らした装束などの意匠には、その地域の人びとが守り伝えてきた価値観や美意識などのエッセンスが垣間見えて、知れば知るほど奥深い。

地域のお祭りというと私のような新参者にとってはちょっと近づきがたい面もあるが、しかし神や自然を含む、あらゆるマレビトを招来するのも祭礼という形態のまた一つの特性でもある。
まだ見ぬ地域の表情に出会いに、まずはこの小さな展示館で、浮立というお祭りに触れてみてはいかがだろうか。

「浮立の里展示館」の窓からは、浮立を守り育んだ富士町の豊かな山並みが見える

[1]浮立をはじめとする佐賀のお祭りについては、佐賀県教育委員会編『佐賀県の民俗芸能 : 佐賀県民俗芸能緊急調査報告書』(1999年、佐賀県文化財調査報告書、第142集)、最近の調査では、佐賀県文化課編「佐賀県伝承芸能実態調査報告書https://www.pref.saga.lg.jp/kiji00368396/3_68396_140398_up_aol1o84h.pdf(平成31年)などで詳しく知ることができる。後者は近年の動向や継承の問題点、担い手たちへの聞き取り調査も含んでおり興味深い。

[2]この「天衝舞浮立」の起こりは、16世紀半ばの室町時代、未曽有の大干ばつから村々を救うために、神職の山本玄蕃(やまもとげんば)が雨乞いの舞を奉じたこととされているのだとか。最初の踊り手となった彼の名前を取って「玄蕃一流」とも呼びならわされている。