津奈木町にて 山と海と裸像と地域資源

ぶらぶらしただけで気に入った、山と海の町

暦にふさわしからぬ暑さになった2020年11月15日、熊本県南部に位置する津奈木町を初めて訪れた。

目的はその日開催されたトークセッション「男と女とハダカとアート」。つなぎ美術館で開催中の柳幸典つなぎプロジェクト成果展2020 Monologue and Dialogue」の関連プログラムだ。タイトルだけ見てもおもしろそうなこのトークセッションを観覧するため、2時間強の道のりで津奈木町に来た。つなぎ美術館で「柳幸典つなぎプロジェクト成果展2020 Monologue and Dialogue」と「宮崎静夫展 死者のために(収蔵品)」展を鑑賞した後、文化センターでトークセッション会場に向かった。

津奈木町は山と海の町だ。後ほど詳述するが、彫刻の町でもある。にもかかわらず、5時間強の滞在で山の展望所にも行かず、海も見ず、彫刻群を見ることもなく、「柳幸典つなぎプロジェクト」の舞台さえ訪れなかった。一体全体何をしに行ったのかというところだが、いいわけをさせていただければ、遠出して美術館に行くという機会に多少おめかしのようなものをしており、装いに力を入れるほどに行動力は落ちるものらしい、というところである。現地で撮った写真の点数も極端に少ない。

それでも、展覧会を鑑賞し、トークセッションを観覧し、町の中心部をぶらぶら歩いただけですっかりこの町を気に入って、いずれまた必ず訪れる場所だから、今回はそうがつがつ見学して回らなくてもいいか、と満足して旅を終えたのだった。このレポートでその楽しさが少しでも伝われば幸いである。

津奈木町という場所 

佐賀駅から津奈木駅までは約2時間の行程だ。新鳥栖駅で九州新幹線に乗り換えて新水俣駅へ。肥薩おれんじ鉄道で新水俣駅から1駅先が津奈木駅である。

佐賀からの交通手段を調べただけで、予備知識ゼロで訪れる町の第一印象は、きれいなところだ、だった。後になって調べたところを紹介すると、熊本県葦北郡津奈木町は、西は不知火海(八代海)に面し、他の三方を山で囲まれた町で、同郡芦北町と水俣市に隣接する。果樹の栽培や魚の養殖が行われており、製造業の誘致にも力を入れている。人口は4,673人(平成27年国勢調査)。

私のこの日の行動範囲は肥薩おれんじ鉄道津奈木駅から東のエリアせいぜい1キロ程度。津奈木川沿いに走る国道3号線と、川を挟んで平行して走る道を何往復かしただけだ(これまた後になって地図で確認したところによると薩摩街道・鹿児島街道沿いと、川向かいの道を歩いていたことになる)。

平べったい佐賀平野で生活していると世界は平坦だと誤解してしまうらしく、旅に出たときにその誤解が破られる。電車や新幹線が山の中を走ったり、斜面を活かして住宅が建っていたりするのを見ると、不思議な感慨が押し寄せてくる。ぐぐっと山が迫っている狭い土地に建物が建っているという風景が、佐賀市民にとっては新鮮だ。こういう日常の感覚がずれるのが旅の楽しさだと思う。

ホームセンターに農産物直売所、物産館、おみやげ処、温泉施設。背の低い建物が多いのどかな町という印象だが、そこには新幹線の高架橋の橋脚がずんとそびえている。

印象的なのは岩山で、これも後になって調べたのだが重盤岩(ちょうはんがん)という奇岩でできている。町のホームページを見るなどしてもこの岩山の名称はわからないが、岩山の一帯は舞鶴城公園として整備されており、好天もあって岩肌に紅葉と常緑樹が眩しく映えていた。不知火海や津奈木町を一望できる展望所まではモノレールもある(この日は調整中で運休)。

津奈木川にかかる重盤岩眼鏡橋といい、護岸が石垣であることといい、よほど石が豊富なのだろうか。それらはすべて重盤岩から切り出したものなのだろうか。わからない。重盤岩眼鏡橋(画像は下記URLを参照されたい)についてはトークセッションでも言及された。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cyouhangan-meganebashi-bridge_1.jpg#/media/ファイル:Cyouhangan-meganebashi-bridge_1.jpg

トークセッション「男と女とハダカとアート」

トークセッションや「柳幸典つなぎプロジェクト」に話を移したい。

2019年に始まり、つなぎ美術館開館20周年となる2021年まで3年をかけて実施される「柳幸典つなぎプロジェクト」。その2年目の成果典・「柳幸典つなぎプロジェクト成果展2020 Monologue and Dialogue」の関連プログラムとして本トークセッションが開催された。

津奈木町のアートへの取り組みをおさらいする。1984年11月、津奈木町が「絵画と彫刻のあるまちづくり」を開始し、これまで16体の彫刻が設置されている。2001年、活動拠点としてつなぎ美術館が開館。2008年からは住民参画型アートプロジェクト開始(「柳幸典つなぎプロジェクト」もこの流れの上にある)。2014年から2019年まで毎年1人の画家を招いて滞在型制作プログラム「アーティスト・イン・レジデンスつなぎ」を実施している。

今年は「柳幸典つなぎプロジェクト」の2年目にあたる。このプロジェクトに関しては、「柳幸典つなぎプロジェクト成果展2020 Monologue and Dialogue」で紹介されている。海の上に校舎の建つ小学校として知られていた旧赤崎小学校のスイミングプールと付属施設をアートで再構成する「入魂の海」プロジェクト(名称は石牟礼道子の詩から引用)、津奈木町役場近くの銀杏の森に、利用目的がないままに保管されていた大量の玉石を活用して造園する「石霊(いしだま)の森」プロジェクトが進行中だ。

トークセッションではゲストとして柳幸典氏、美術史研究者で静岡県立美術館館長の木下直之氏、彫刻家で彫刻研究家の小田原のどか氏を招き、モデレーターはつなぎ美術館学芸員の楠本智郎氏が務めた。

公共彫刻に裸像が登場し、裸像が公共彫刻として受け入れられていく歴史が説明される。三者の切り口は異なるが、総意は次のようなものだ。

現在は日本全国まちなかの至るところに裸像が設置されており、私たちは「裸像=アート」と受け止めているが、彫刻が裸であるということには、本来なら服を着せてはいけないだけの背景があるはずだ。裸を当然のものとして無批判に受容することなく、「なぜ裸なのか」という点に批判の目を向ける必要がある。津奈木町では裸像を含む彫刻があちこちに設置されているが、大半が津奈木町と縁のない作品で、地域にある資源に目を向けず、無関係のものをよそから持ってくる弊害がここでも見られる。「アートだから触れてはいけない」と判断停止することなく、「なぜここにあるのか」「これは自分たちにとって何か」自分たちで問い直すことが必要だ。

プロジェクト開始前から水俣に興味があったという柳氏は、津奈木町を訪れて石牟礼道子やウィリアム・ユージン・スミスが語られないことに驚いたという。作品はどこにも見られず、隠蔽されている印象すら受けたそうだ。その上、町とはほぼ無関係の裸像だらけである。重盤岩眼鏡橋などはまさにアートなのに、その価値は忘れられている。柳氏は地域の人がお地蔵さんに服を着せるように裸像に服を着せるプランや、ディレクションされずばらばらに存在する裸像を集約することで景観を保つプランを提案したが、諸事情により実現できなかったことを説明した。

裸像はじめ彫刻があふれていることについては他のゲストも疑問を投げかけ、小田原氏はフセイン像やレーニン像が撤去されたことを引き合いに出しながら、柳氏の取り組みが世界で一番ポジティブな公共彫刻のアップデートになる可能性があると述べ、トップダウンで公共彫刻が設置されることを考え直す契機になればと語った。彫刻が設置・撤去・移動・放置されてきた歴史や語られ方の歴史を説明した木下氏は、撤去すべきという声が実際にあがっていなくても意見として存在しうることを指摘し、人が集まる機会を設けて彫刻との向き合い方を語り続ける重要性を訴えた。

トークセッション終了後、会場を出て歩きながら考えた。「絵画と彫刻のあるまちづくり」には、町の活性化のために何とかしたいという真摯な願いがあったと推測する。しかし、「なぜ絵画と彫刻なのか」「他の手段はないのか」「絵画と彫刻ならどのようなテーマに絞るのか」といった検討が充分でなかったということだろう。佐賀近辺のアート情報を紹介するサイト・potariを運営していて、真摯な思いというものは常に持っているつもりだけれど、確固たる軸がないまま活動していることの危うさを再認識させられた。

セッション中、「地域資源」「土地の記憶」という言葉がたびたび出たが、津奈木町の地域資源といえば岩山や海、地域に根付いた産業などが織りなす美しい景観がまずあげられることは間違いない。「この町は、今のままでいいじゃない。のどかでいいじゃない」などと甘いことをつい言ってみたくもなるが、人口流出に加えて少子化という困難に直面する地方では、何も手を打たなければ「今のまま」を継続することさえ不可能だ。守りたい部分は守りつつ変わり続ける難しさを思う。

個人的には、一連の取り組みに関する情報発信のしかたに疑問を感じた。津奈木町はアートによる地域おこしを長年やってきたわけだが、これまでの活動の全体像がわかる資料がインターネット上には公開されていないように見える。地道な活動をわかりやすく公開することでこの美しい町に関心を持つ人、もっと積極的に関わりたいと考える人が増えれば面白いと思う。そういう形態も様々な仲間が存在することで、展望も開けていくのではないだろうか。これはぽたり編集部自体が、そして私自身が模索している道にも似ている。