「枝梅」にギャラリーがオープン!醸造所跡の、これまでとこれから。

長崎街道が通る佐賀市八戸町に、市街地で唯一の醸造所だった旧枝梅酒造の建物が残っています。八戸町の住民の熱意によって存続が決まったこの建物群、現在は街道に面した一部を佐賀市が、その他の区域をNPO法人「まちの根太」が管理しています。

NPO管理地ではアーティスト集団・EDAUME Art Studioが制作活動しているほか、イベントが開催されるなど、まちなかに話題を提供してきました。今回、新しいギャラリースペースがオープンします。

この記事では旧枝梅酒造の建物ごとに特色を紹介し、建物群がどのような経緯で保存されてきたかを説明します。

西の蔵

焼き杉板と古いトタン壁が印象的な西の蔵。冒頭写真の入り口から入って左手奥に、EDAUME Art Studioのメンバーらのアトリエがあります。

近日オープン予定のギャラリースペースはアトリエの手前に設置されました。中はなんと白一色! シンプルな空間がこれからどんな作品で彩られるのか楽しみです。

東の蔵

イベントホールとして親しまれているのが東の蔵です。ダンスイベントやコンサート、アートイベントなど様々な催し物が行われてきました。高い天井に太い梁、他ではなかなか見られない広い空間が魅力です。

北の蔵

旧枝梅酒造で最大の建物が、総二階建ての北の蔵です。実は老朽化の問題が一番深刻なのがこの建物。屋根の一部が崩れています。改修費用に充てるため、現在、寄付を募っています。規模が大きいだけに可能性を秘めている北の蔵を利活用するため、どうかご協力ください。

https://machinoneda.wixsite.com/machinoneda/donation

母屋・店舗・精米所跡・米倉庫跡

母屋・店舗・精米所・米倉庫は佐賀市が管理しており、精米所跡は公共トイレ・米倉庫跡はまちの休憩所に生まれ変わっています。母屋と店舗はおいしいお酒と食事が楽しめる「酒の蔵えん」が営業中で、法被や磁器製の酒樽など「枝梅酒造」ゆかりの品がディスプレイされています。休憩所には八戸町の歴史を紹介するパネルが設置されているので、そちらも必見です。なお、母屋と店舗は令和3年に国の有形文化財に登録されました。

旧枝梅酒造のこと・八戸町の町並みのこと

嘉永7(1854)年に開業した八戸町の造り酒屋が、「窓乃梅酒造」の分家・「枝梅酒造場」となったのは明治の末のこと。その後、大正・昭和と操業し、昭和の終わりごろに醸造は休止されて酒類の販売に専念するようになりました。その間も醸造所は大事に保存され続けましたが、平成21年に枝梅酒造株式会社は事業を停止。建物の老朽化が進んでいきました。

平成23年12月、長崎街道の面影を残す町並みの保存と、景観を活かしたまちづくりを目指して「八戸地区の歴史を考える会」が14名で発足しました。背景には、旧枝梅酒造の建物の持ち主の「どうにかして建物を残したい」との願いや、長崎街道独特の景観への会員たちの思い入れがありました。

会のメンバーは佐賀市役所と交渉を重ねてアイデアを出していきました。八戸町を含む日新校区にはトイレや休憩所がないので整備したらどうかという案や、旧枝梅酒造の建物を公民館として利用してはどうかという案が出ました。活発に議論しつつ、対立は一度も起きなかったそうです。平成27年9月、佐賀市役所が整備基本構想をまとめます。さらに話し合いを重ねた末、長崎街道に面した部分を佐賀市が買収し、リニューアルすることが決まりました。

佐賀市管理地を除く区域についても動きがありました。平成29年、NPO法人「まちの根太」が設立されます。事業停止中の枝梅酒造株式会社から「まちの根太」に三棟の酒蔵が寄付され、所有地の管理が委託されました。

建物や町並みの保存と並行して、まちの歴史を冊子にまとめる計画が進行。平成28年3月31日に冊子「八戸ものがたり」を発行し、学校や町内の各世帯に配布しました。八戸町を含む日新校区では地元の歴史を知るための校外学習が今も続いています。

「八戸地区の歴史を考える会」はメンバーの高齢化などの理由で平成30年5月に解散したものの、平成30年2月に佐賀市管理地において改修工事が始まり同年11月に完了、「酒の蔵えん」がオープンしました。NPO管理地においても平成31年1月に「東の蔵」の改修工事が始まり同年3月に完了するなど、建物群を残す道筋がつきました。とはいえ、最大の建物「北の蔵」の老朽化が進むなど、今も課題は残っています。

民間の力で建物を保存する取り組み、見守っていきたいですね。