2022年7月30日(土)に山口情報芸術センター[YCAM]にて開催された、芸術作品をより楽しみ、鑑賞を深めるためのイベント、わたしもアートがわからない vol.2 「わからない」からはじまるコミュニケーションに参加しました。
本イベントの講師である 福のり子さんは、鑑賞教育学、美術館学、現代写真、キュレトリアルを専門領域とされ、日本の大学で初めて、対話型鑑賞を授業に取り入れたArt Communication Project(ACOP:コミュニケーションを介した作品鑑賞プログラム)を立ち上げました。学内のみならず、美術館や教育機関を対象に、鑑賞者の育成及び作品と鑑賞者をつなぐファシリテーターの養成を目的とした講座やワークショップを多数開催されています。
アートなんか怖くない?
まず福さんは私たち参加者に向けて、前提として「アートなんか怖くない」という言葉を投げかけました。
私自身はアートに対して特に「怖い」というイメージは持っていないなと感じつつ、だったらどのようなイメージを持っているかな…と考えてみると、常に「なんだか緊張する」と感じていることに気づきました。
アートに対する「怖い」という気持ちはどこから出てくるのでしょうか。福さんより、以下の2つが挙げられました。
1つ目は「わからないもの・得体の知れないもの=怖い」ということ、2つ目は「教養がないと思われる=恥をかくのが怖い」ということです。2つ目を聞いた時に、私の感じている「なんだか緊張する」の根底にあるものはこれかもしれない⋯!と感じました。自分の知識を試されてるような、無知であることがバレちゃうかも⋯という緊張感は、言い換えると「恥をかくのが怖い」につながります。
ボールの受け取り方
福さんはアートをキャッチボールに例えました。キャッチボールは、ボールを投げる人と受け取る人、どちらもいなくては成り立ちません。アートを「作品と見る人の間に起こるキャッチボールのよう」とすると、同じように [投げる人=作品] と [受け取る人=鑑賞者] どちらもいなくては成り立ちません。福さんは、ボールの投げる側(=作ること・描くこと)としての練習をする機会に比べて、ボールの受けとる側(=鑑賞者)としての振る舞いを教えてもらう機会がないことに注目しました。
小学校や中学校などこれまでの図工や美術の授業を思い出すと、何かを描いたり作ったりする授業が中心で、作品の鑑賞についてや、その楽しみ方について学ぶ機会は圧倒的に少なかったことに気づきます。
ここで、福さんはある学校が美術館の見学に行った時の話を例に挙げました。引率の先生は「作品に触らないこと!騒がないこと!走らないで!」と注意、そして「作品はじっくりみましょう。後から感想を集めます」と呼びかけました。鑑賞の仕方や楽しみ方は教わっていないのに、「作品をみて、後から感想を集めます」と言われても困ってしまいます。ほとんどの生徒が作品の説明を写すことに集中して、じっくり作品を鑑賞することや、感想を口にして誰かと共有する機会ではなくなってしまったようです。
作品を見る時間 < 説明を読む時間
多くの人がひとつの作品を見るのにかかる時間は、たった10秒ほどで、作品を見る時間よりも圧倒的に解説を読む時間が多いようです。キャプションや作品解説は、どうしても「全部読めば作品が”わかる”はず」「何か自分を納得させることが書かれているのでは」という気持ちで読んでしまいます。
私自身も、ついつい解説を読む方に集中してしまうのが癖になってしまって、全部に目を通すことで、どこか安心したい気持ちがあるのだと思います。どうしても文字情報の方が理解できると思ってしまいますが、知識がないと理解できないのは文章も同じはずです。
解説を読んでも専門用語が使われていたり、そもそも美術史の文脈がわかった上で書かれていたり⋯。実際に美術館で作品に添えられてる説明を読んでみても、理解できないこともしばしば。「これぐらいの知識がないと、鑑賞できないものなのか」と怖気付いたり、「素人にはわからないでしょ?」と言われているような気分になってしまいます。逆に、知っている画家の名前が書いてあると、それだけで満足してしまうケースもあるんだとか。
アートたらしめるものってなんだろう?
作品を見たときに「なんでこれがアートなの?」と感じるとき、それは自分の中に「アートといえばこういうもの」という「アートたらしめる概念・条件」があるということ、と福さんはいいます。特に現代アートに対しては、私を含め このように感じる人が多いのではないでしょうか。
「この画家は結局何が言いたかったの?」「どんな作品が良い作品ですか?」といった質問もよくあるようです。作者が伝えたかったことを理解できた方がスッキリするし、「良い作品」の基準を知れたら、アートを「わかる」ための手がかりになりそうですよね。
しかし、福さんは「作家自身も100%作った意図を持っている訳ではないし、コミュニケーションや芸術において、正解や解釈は1つじゃない」と話します。そこで、それぞれの作品への解釈を持ち寄って共有するのが対話型鑑賞です。
ACOPをやってみよう
ACOP(Art Communication Project)とは、「みる・考える・話す・聴く」の4つを基本とした対話型鑑賞プログラムです。本イベントでも、いくつか作品の写真を見ながら参加者どうしの意見を出し合いました。
「これは何にみえる?」「どこからそう思った?」「大人にはこうみえるけど、子供だとどうだろう?」
感じたこと、考えたことを共有していくと、自分ひとりでは辿り着かなかった作品のイメージや見え方に触れることができます。周りの人も自分と同じようにみえていると思ったら大間違い!みんなもこうみえてるだろうな⋯と思ったことが、独自の視点だったり、少数派の視点だと思っていたら、実は同じような解釈の人が多数派だったり。共有することで初めてわかることがたくさんあります。
誰しも自分の歴史や価値観を背負った上でモノ・コトをみていて、自分ではみえなかったものに気づくためにも、自分以外の人と一緒に作品をみることが大切なようです。福さんは、対話型鑑賞について「答えのない、絶対の解がない課題に対して、異論を持ち寄って聴き合い、対話を重ねてその場その時の「集合知」を共同で作り上げる作業」と表現されました。
おわりに
最後に福さんは、アートとは「見ることから始まる疑問」「発見と驚き」としめくくりました。
「わからない」と切り捨てて興味をなくしてしまえばそこで終わってしまうことも、「わからない」を興味を持つきっかけにして、そこから掘り下げていくこと、その過程で見つかる気づきや発見を楽しむことがアートのようです。
皆さんもこれから展覧会に向かうとき、作品をみたときに時に浮かんだ疑問を「わからない」と切り捨てずに、その疑問をきっかけに、自分自身や一緒にいる誰かと対話しながら鑑賞をしてみてはいかがでしょうか?