清掃がアート? 佐賀駅南口で再現された「過剰さ」は何を残したか

アート情報を発信するサイト・potariに2023年7月に掲載されていた、異質とみえる情報。こちらです。

清掃? 整理? アートと関係のなさそうな運動。しかも、主催者は「佐賀圏環境実行委員会」という謎の団体。ご覧になったかたは、このイベントが掲載されていることを不思議に思われたのではないでしょうか。

これ実は、佐賀大学芸術地域デザイン学部1年生6名によるアートの実践だったのです。授業で「現代美術作品の模倣を実行する」という課題を出され、この6名は「ハイレッド・センター」が1964年に実施した「首都圏整理促進運動」を模倣することに決めたのでした。高松次郎・赤瀬川原平・中西夏之が、オリンピック開催で盛り上がる東京で行った過剰な清掃を、2023年の佐賀駅前で再現しようという試みだったというわけです。ぽたり編集部がその様子を取材しました。

梅雨明けが待たれる7月20日朝9時半、薄曇りの空の下、5名の学生が活動を開始しました。「首都圏整理促進運動」についてほぼ無知の状態で取材に臨んでまず驚いたのが、その服装です。

そろいの白衣に、赤い腕章。目立つには充分ないでたちです。

清掃作業そのものも人目をひきます。取り出された道具は、雑巾・たわし・刷毛・歯ブラシなど、予想外のもの。しゃがんで作業開始すると、たちまち異質な集団に。

メンバーの様子が目立っているのは間違いなく、少なからぬ人が目線を送ります。素通りする人もいるのですが、見て見ぬふりを努めている雰囲気が感じられ、そばで見ているだけのこちらも少しスリルを味わう心持ちに。作業途中、メンバーの1人からは「清掃に集中しようとしても人目が気になる」との感想も出ました。

本家の「首都圏整理促進運動」を知っている可能性のありそうな年代が通行する時間帯をねらっての作業でしたが、声をかけてくる人はなかなか現れず。ようやく声をかけた男性は、残念ながら「首都圏整理促進運動」をご存じなく、写真撮影も断られてしまいました。

取材を通じて感じたことはふたつ、「異質な存在に無関心を装う人が多いこと」、そして「『公共空間は清潔であるという当たり前』の『当たり前でなさ』」です。

前者については、佐賀の地域性なのか、時代性なのか、どちらでしょう。見て見ぬふりをして通り過ぎた人も、後になって「朝の駅前でみたあれはいったい何だったのだろう?」と思い返してくれていたらいいなと思います。忙しい日々で「珍しい風景」に出会ってもそのまま忘れてしまうことは起こりえますが、もったいない気がします。夕方ひと息ついたとき、「なんで掃除してたんだろうな」「なぜあの服装だったんだろう」と思い返す人がいれば、目撃者の日常を揺るがせたという点で、この「佐賀圏清掃整理促進運動」は成功だったといえるでしょう。

後者は、不特定多数の人が使う場所をきれいにするのは大変なことなのだ、というストレートな感想です。まして、この運動においては「タイルを雑巾で拭く」「目地の砂ぼこりを歯ブラシや刷毛で掻き出す」という極端な方法がとられたので、清掃という行為の奥の深さ・際限のなさのようなものを感じました。人に使われ、風雨にさらされることで場所は確実に汚れをためていきます。「人である以上、清掃という責務からは逃れられないし、誰かの清掃の世話にならざるをえない」ということをつくづく感じました。

取材を終える前に、「やりがいと恥ずかしさだったら、どちらが強いですか?」と尋ねたところ、「やりがいです」という嬉しい返答がありました。「やっているうちに夢中になって、もっときれいにしたいという気持ちになります」とのこと。蒸し暑い朝に一陣の爽やかな風を感じた瞬間でした。