ここ数年、美術館の絵本展が豊作だ。
今年だけでも、「かこさとしの世界展」(ひろしま美術館、6月15日~8月4日)、「いわむらかずお展」(萬鉄五郎記念美術館、岩手県、7月6日~9月23日)、「にじいろのさかな原画展」(北九州市立美術館分館、7月13日~9月1日)、「せなけいこ展」(横須賀美術館ほか国内4館に巡回)などなど、実に多くの絵本展が国内のミュージアムで開催されている。
絵本は、人間が最も早くから触れる、最も原初的なメディアのひとつである。一見単純なようでいて、少ないページやごくわずかの言葉、そして絵の組み合わせから無限のストーリーが紡がれる、とても奥深いメディアだ。多くの人が、子どものころにページが擦り切れるまで読んだ一冊、今も心に残る一冊とのエピソードを持っていることだろう。読み聞かせや読書体験などに関わる絵本の効能はすでに多くの研究で指摘されている[1]ので改めては繰り返さないが、それのみならず、良質な芸術作品との出会いと同様に、良き絵本との出会いは想像の翼を育て、見える世界の深度を確実に広げてくれる。昨今の絵本展の盛況は、そのような絵本の美学的価値が、芸術の領域でも見直されている証しなのではないだろうか。
今回は、今年(2019年夏)に九州内で開催された絵本展2つを紹介したい。
まずひとつめの展覧会は「おいでよ!絵本ミュージアム」である。
「おいでよ!絵本ミュージアム」は、2007年から毎年、夏休みの時期に福岡アジア美術館(福岡市博多区)で開催されている絵本展。昨年までに累計55万人もの来場者を獲得している[2]、福岡の夏の特別展の代表格であり、子育て世帯にとっての毎夏の風物詩でもある。
本展は毎年異なるテーマを設けて、テーマに沿った絵本あるいは絵本作家数人をその世界観を再現した空間とともに紹介している。今年(会期:2019年7月18日~8月18日)のラインナップは、『ぼくだよ ぼくだよ』(きくちちき)、『みんな』(きくちちき)、『どっどこ どうぶつえん』(中村至男)、『チリとチリリ』(どいかや)、『もこ もこもこ』(文:谷川俊太郎、絵:元永定正)、『雨、あめ』(ピーター・スピア)、そしてエリック・カールの絵本であった。
展覧会場の入り口。チケットを買って会場内に入る親子を、スタッフが呼び止める。「会場でのお約束」――ものを食べたり飲んだりしない、走ったりさわがない、禁止マークのある作品はさわらない――を確認したのち、子どもに約束できるか柔らかい口調で問いかける。できる、と答えると会場に入ることができる仕組みだ。夏休みなどの幅広い客層の展覧会では、美術館のルールを知らないという人も多い。このように子どもの自尊心を傷つけずさりげなくルールを共有する仕組みは、とても効果的に感じた。
展示室に一歩入ると、天井から下がる大きな布や、絵本のワンシーンを再現した色鮮やかなオブジェやパネルが目に飛び込んでくる。子どものみならず親からも思わず歓声が上がる。トンネルや島なども配された軽やかで有機的な空間は、実際に絵本の世界に飛び込んだかのように、子どもたちが自由に環境と関わることができる仕掛けが随所に施されている[3]。
会場には今年のゲストアーティスト、plaplaxによる絵本とコラボレートしたデジタルメディア作品も点在する。なかでも絵本『もこ もこもこ』から着想された作品は、壁の筒に向かってオノマトペで叫ぶと壁面の映像に生命体が生まれ、声に合わせてにょきにょきと成長するというユーモラスなもので、子どもたちが絶えず群がっていた。オノマトペと色や形の取り合わせという、谷川俊太郎・本永定正の鬼才二人によるこの絵本の面白さを巧みに掬い取っていた。
好きな絵本の世界を体感するだけでなく、新たな絵本と出会うことができるのも本展の醍醐味である。会場内には絵本棚がしつらえてあり、同じ作家の絵本や似たテーマの絵本が選書されており、観覧者はそれらを自由に手に取って読める。読み聞かせを楽しむ家族、自分で本を選び黙々と読む子。子どもの、家族の数だけ、絵本とのかかわり方がある。絵本の世界観を再現した空間のなかで、各々による絵本との自由な楽しみ方を許容する「フォーラム」のような居心地のいい空間が、そこにはあった[4]。
「おいでよ!絵本ミュージアム」は、最近の現代アート展に多い、感性を開放して、アクティブに楽しむことができるタイプの展覧会の先鋒だといえる[5]。絵本ファンの親子に長く支持されている展覧会として福岡で独自の地位を築く、今後も長く続いてほしい展覧会である。
もう一つが、久留米市美術館で開催されていた「ぼくと わたしと みんなのtupera tupera 絵本の世界」展(会期:2019年8月6日~9月8日)。2016年に経営母体が石橋財団より公益財団法人久留米文化振興会に代わった久留米市美術館では、昨夏の「ブラティスラヴァ国際絵本原画展」に続き、このところ絵本展に力を入れている印象だ。
「tupera tupera」は、亀山達矢と中川敦子によるアーティスト・ユニット。絵本制作やイラストレーションをはじめ、デザインや空間ディレクション、映像、舞台、雑貨制作などでマルチな活躍を見せる。布や紙のコラージュから生み出される、カラフルで温かみのあるイラストレーションは、エリック・カールやレオ・レオニのような海外の絵本の世界を髣髴とさせる。
展覧会の冒頭に登場するのは、蛇腹型で文字もない絵本らしからぬ絵本『木がずらり』(2004/2005/2011)の原画だ。彼らの最初の絵本作品である。彼らの創作活動は、種類、質感、プリントもばらばらの布や紙を集めてきて、それらを様々な形に切り抜くところからスタートする。役割分担は決めず、「一人が顔を作ったら、もう一人がそこに体をつけたり…[6]」という、即興的な、いわば「連歌」のような方法によって作品が組み上げられていく。
文と絵の作者が別であることも多い絵本は、美術作品に比べて作者同士、作者と読者の感性のぶつかり合いによって成立する媒体といえる(先に紹介した『もこ もこもこ』の詩人・谷川俊太郎と画家・元永定正のコラボなどもその一例だろう)。tupera tuperaの場合はクリエイター二人の共同制作だが、異なるイメージやアイデアを次々と接続していく作業から生まれる、彼らの言葉でいう「化学反応[7]」が、様々な色や素材の紙の取り合わせの妙につながり、オープンネスで見る人を思わず笑顔にするような画面が生まれるのではないか。『木がずらり』に登場する、個性豊かな木の数々は、化学反応で軽やかにアイデアを生み、その想像力を枝のように自在に広げていく、彼ら自身の姿であるかのようだ。
一組の(一人の)アーティストに焦点を当てた展覧会はその制作の軌跡や変遷が深く見えるのも面白い。tupera tuperaの場合、最初期の活動では布雑貨の制作・販売を行っていたのだという。会場には当時の布雑貨作品も展示されていた。彼らの作品に一貫して感じる、マテリアルの「モノ」的性質への関心——紙や布が持つ固有の質感や色彩への関心、その取り合わせを楽しむ姿勢——はここから来ているのかと合点がいった[8]。個々の材料の質感や色を駆使して賑やかなハーモニーを奏でながらも、どこか抑制的なシンプルな形状と効果的な余白。相反する二つの要素の絶妙な緊張感のもとに成立する画面は、tupera tuperaの絶対的個性として子どもたちの視線を釘付けにし、他の追随を許さない。
会場には「かおノート」シリーズ(2008/2010/2015)、「やさいさん」(2010)、「しろくまのパンツ」(2012)、「パンダ銭湯」(2013)など、子どもたちに大人気のtupera tuperaの代表的絵本の原画が並ぶ。「かおノート」シリーズは、各ページの顔の輪郭の上に、目や耳などの付属のパーツシールを貼って自分の好きな顔を作ることができる。「やさいさん」は、ページの中の仕掛けをめくると隠れていた野菜や果物が飛び出してくる絵本。子どもが自分で仕掛けをめくったり閉じたりして楽しむこともできる。このような、読者との相互作用によってはじめて成立する彼らの絵本のオープンネスな性格は、互いの感性を重ね合わせながら作品を作り上げていく彼らの制作スタイルに由来するものであり、読む人の想像力そのものを絵本に取り込んでしまおうという彼らのかろやかな遊び心のあらわれだろう。その創作の姿勢は、展覧会終盤のワークショップの記録にも読み取れる。ワークショップ実践は彼らのもうひとつのライフワークであり、国内外の各地で実に10年以上継続されているプロジェクトである。石ころや空き瓶、包装紙などの古紙、木の枝などの身近なものを絵具で塗ったり、紙を貼ったり組み合わせたりして、まったく新しいものに変身させる。子どものみならず、大人たちもが感性を開放して作り上げる様々な作品は、彼ら自身にとってのイマジネーションの源泉にもなっている。
形や色と戯れ、感性の化学反応を起こしながら、観る人の想像力を招き入れ、それとすら遊んでしまうというtupera tuperaのかろやかな創作活動。まだ見ぬ世界との沢山の出会いを通じて、彼らの絵本はこれからも人々の愛され、読み継がれてゆくだろう。
名作と呼ばれる絵本は世代を超えて読み継がれ、親と子の、そして時代の“共通の記憶”として心に残り続ける。世は出版不況というけれど、かつて絵本の世界を自由に駆け回った一人として、これからも世代を超えて読み続けられるような良質な絵本が沢山生まれ、そして子どもたちの“広場”となる素晴らしい絵本展が開催し続けられることを願うばかりだ。
脚注
[1] 絵本に関する研究は、主に教育学や心理学の分野で盛んにおこなわれ、現在は文学、比較文化学、メディア系や美術系の学部でも研究テーマとして扱われるようになってきている。著名な研究者には佐々木宏子、中川素子、松本猛などがいる。また1998年より続く「絵本学会」は、絵本研究者のみならず出版関係者や絵本作家らも参加し、旺盛な研究活動が続けられている。
[2] 「おいでよ!絵本ミュージアム2019」公式Webサイトより。
[3] 今年の会場ディレクションは、「空気の器」などで知られるトラフ建築設計事務所。段ボールなど身近な素材を使って、有機的な空間を作り出していた。
[4] もちろん気に入った本は、会場外の特設ショップで買い求められるようになっている。
[5] これはただの呟きだが、ただ学芸員の立場としては、せっかくの絵本展なのに「原画がない」というのはどうしても惜しいところではある。ベンヤミンではないが、オリジナルに宿るオーラ、磁力というのはやはり存在するのだ。
[6]『ぼくと わたしと みんなのtupera tupera 絵本の世界』展 展覧会図録p.7より。
[7] 「特集 tupera tupera 大解剖 亀山達矢・中川敦子インタビュー」『ぼくと わたしと みんなのtupera tupera 絵本の世界』展 展覧会図録p.130より。
[8] 彼らが五味太郎の絵本作品から影響を受けたということも興味深かった。五味太郎(1945~)はこれまでに400冊を超える絵本を発表してきた、日本を代表する絵本作家の一人である。tupera tuperaの色の面を組み合わせるような絵の構造、余白の効果的な使用は、確かに五味の画風と共通するところがある。また、デザインの世界から絵本の創作活動に入ったというところも共通している。