糸が導く生命の旅 「塩田千春展:魂がふるえる」(上)

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  • アバター画像   BY  秋山沙也子 佐賀県立美術館学芸員。この道まだ3年目、佐賀に暮らして5年目。

「塩田千春展:魂がふるえる」――それはまさにひとつの物語であり、ひとつの長い旅のような展覧会であった。

日本生まれ、ドイツ・ベルリン在住の現代美術家、塩田千春(1972~)。空間いっぱいに糸を編むようなインスタレーションや詩的な映像作品群で知られる塩田は、2015年にヴェネチア・ビエンナーレの日本館代表に選出されるなど、いま国際的に最も活躍がめざましい作家のひとりだ。

東京・森美術館で2019年6月20日(木)から10月27日(日)まで開催された本展は、塩田のこれまでの25年間の作家活動を回顧する、過去最大規模の個展である。SNSなどで大きな話題を呼び、最終的な入場者数は約66万6千人[1]という、現代アート展としては驚異的な入場者数を記録したという。

まさに2019年を代表する展覧会となった本展に、よく晴れた9月の秋の日、筆者は足を運んだ。

塩田千春《どこへ向かって》(2017/2019)

森美術館内のエントランスの中空に浮かぶ白い小舟たち――本作《どこへ向かって》(2017/2019)が展覧会の前奏曲となり、塩田の作品世界に観客を導く。

最初の展示室。本展のチラシのメインビジュアルともなっているインスタレーション作品《不確かな旅》(2016/2019)が観客を出迎える。おびただしい赤い糸が高度なあや取りのように複雑に絡み合い、天井を覆いつくすとともに、うねりを伴い、奥行きのある、ある“かたち”を作り出している。まるで血管が張り巡らされた肉体の内側か、地下の根っこの世界に迷い込んだような錯覚を覚える。あるいは巨大な小魚や鳥の群れに包み込まれたようにも。

塩田千春《不確かな旅》(2016/2019)

赤い血潮が通い、細胞のような有機的な何かを思わせながらも空虚な立体。それはまるで、互いの人生も知らない他者同士が身を寄せ合い共存する、私たちの生の実感そのもののようだ。そして無数の空を内に抱きながら頼りなげに漂流する小舟も、確たる規範が崩れ去った、現代の不確かな世界の姿のように思えてくる。ここには、“中心”が存在しない――たとえば血管にとっての大動脈や心臓、根っこにとっての種や幹のような、おびただしい糸の母体となり、そして還ってゆく存在となるべき中心が。あるのは部屋一面に広がる、いくつもの糸の線と結節点の集積によって生まれた無数の空間だ。それを載く黒い小舟も、骨組みだけの空虚な姿をしている。しかしそのような不確かな姿でも、血潮はめぐり続け、小舟はここではないどこかを指して航海を続けるのだ。

 

「絵の虫」から身体表現へ

次の章では、彼女のバイオグラフィーと初期作品の紹介がされる。学芸員として、本展を観ていて最も昂奮を覚えたのは、実はこの章である。初期作品群をとおして表現者たる彼女の根源に真っ向から迫ろうとする、キュレーター片岡真実の知的好奇心と作家へのリスペクトが伝わり、実に心地よかった。

塩田の半身であるかのような壁一面の展覧会歴とともに、幼少期の作品、そして在学していた京都精華大学、ハンブルク美術大学、ブラウンシュヴァイク美術大学、ベルリン芸術大学で行ったパフォーマンスやインスタレーションの記録写真が並ぶ。キャプションには、彼女の思索と実験の履歴が彼女自身の言葉を交えて克明に綴られる。

100号の油画を何枚も何枚も描いたという「絵の虫」の高校生であった塩田だが、いつしかその伝統や規範、限定的なマテリアルに限界を感じるようになっていった。「テクニックが先立って、中身がないことに苦しむ。油絵の具とキャンバスという歴史のある材料を扱いながら、自分の描くその存在の軽さにたえられなくなる[2]」。表現への欲動に忠実になり、たどり着いたのが空間とパフォーマンスであった。京都精華大学在学中の19歳(1994年)の《DNAからDNAへ》というパフォーマンスでは、それまでの表現方法から解放された彼女を世界へと繋げるように、赤い糸が胎盤のような天井へ導く。

塩田千春《私の死はまだ見たことがない》(1997)記録写真の一部

その後、渡航したドイツでレベッカ・ホルン、マリーナ・アブラモヴィッチという二人の鬼才と出会う塩田。とりわけマリーナ・アブラモヴィッチのもとでは、数日間の絶食、目隠しをして雪の中を歩き回るなどの身体を使った過酷なワークショップに参加した。このワークショップを通して、彼女は、身体や知覚が変容していくような感覚を得たという。それはまさに自らの身体、生を賭して、表現とは何か、なぜ表現をするのかといった自身のアイデンティティに迫る根源的な問いを鋭く突きつけられた瞬間であったことだろう。この時期の《私の死はまだ見たことがない》(1997)、《トライ・アンド・ゴー・ホーム》(1997)などに、そのような塩田の自己や身体との生々しい闘争の痕跡が見て取れる。展示室の暗い空間や狭い通路にも、塩田のもがきが投影されているようであった。

 

儚く脆い肉体に向き合う

2002年に発表された《眠っている間に》は、中国の伝説「胡蝶の夢」を下敷きとした作品。ベッドで眠りにつく女性たちを繭のように包む黒い糸は、彼女たちを守るヴェールにも、今にも飲み込みそうな夢魔の化身のようにも見える。《アフター・ザット》(1999/2001)は、人の背丈の何倍もあるドレスの上から泥を流すという壮大な作品だ。生々しい物質感を伴って立ち上がるドレスはただならぬ迫力で、その泥にまみれたベットリとした服の質感は観客に生理的な不快感をもたらす。女性の身体に付きまとうケガレを思わせるだけでなく、その気高さまでをも感じさせる作品である。

浴槽の中で作者自身が泥を浴びる《バスルーム》(1999)、赤い液体が通るチューブに巻かれる女性を映した《ウォール》(2010)などの映像作品を通して、塩田は穢れや血などを想起させる、女性の身体性に肉薄していった。それは、プライヴェートな空間やモノ、自在に形を変える水や泥といったマテリアルを通して、肉体と精神、自己と外部との境界を探りなおす試みでもあった。

人間が疎外され、生命が生と死を蠢くように生きることを排除されるクリーンでリジッドな現代のシステムは、ますます強化され続けている。塩田は自己の内部の声を聴くという私的な行為を通じて、この世界のなかで、私たちは何を回復するのか、できるのかを問う。それは、塩田が文字通り身を削っている、その身体と切り離すことができないものだろうと思う[3]。(中村佑子)

実は今の塩田にとって、これらのテーマはこのうえなく切実なものになっている。本展のオファーを受けた2年前、以前患った病の再発が思いがけなく判明し、闘病生活を送りながらの展覧会準備だったというのだ。新作《外在化された身体》(2019)は、病に侵された塩田の思いがよくあらわれた作品だ。肉を思わせる、引き裂かれ、断片と化した赤い網の下に、腕や足などパーツのみとなった身体が転がる。網同士はわずか細い糸一本でつながれ、秩序あるものが脆くも崩れ去っていく、その瞬間を目撃しているかのようだ。

塩田千春《外在化された身体》(2019)

病、それは、これまで「私」の一部であったはずの身体が、突如異物として「私」の前に立ちはだかることである。出産もそうだ。自分の体内に全く別の生命と人格をもった誰かを住まわせ、そして痛みに耐え、命を懸けて、この世に送り出す(しかも奇妙なことに、人類の一方の性のみがこの負担を負っている)。

《外在化された身体》には、突如異物と化した身体が肉体と精神のバランスを引き裂いていく絶望感が色濃く表れているのと同時に、それまで透明化されていた身体をこの機会に「外在化」し、徹底的に眺めなおしてみるという、怖いほど透徹した塩田のまなざしが光る。それは泥、血、ドレスなどをとおして取り組んできた、肉体と精神、生と死の境界を探るというテーマに、傷ついた身体を抱え、生を希求しながら立ち向かう極限の試みである。病、そして死は、生あるものにひとしく訪れる苦しみである。精神の器たる身体は、かくも儚いものだ。しかし私たちは、その不完全な肉体と、死のその時まで付き合っていかなければならない。

心と身体がバラバラになっていく、どうにもならない感情を止められなくて、
自分の身体をバラバラに並べて、心の中で会話をする。
この感情を表現すること、形にすることは、
いつもこういうふうに同時に魂が壊れることなんだ[4]。(塩田千春)

精神が、異なる場所や時代をどこまでも旅してゆけるのとは裏腹に、肉体はいま・ここに縛り付けられた不完全な有機物に過ぎない。しかしまた、その見えざる複雑なシステムは、多様な生命の絶妙なバランスの上に成っている、この世界の母型のようでもある。自分の一部であり、精神・思考の源泉でありながら、決して見ることも触れることもできない身体の内奥との対話。それは同時に、私たちを包み絶えず動き続けている、この世界の摂理や秩序そのものへ深く潜り込んでいく、塩田の切なる呼びかけでもある。

後半へ続く)

[1] 「森美術館「塩田千春展」、66万6271人の入場者数を記録。同館歴代2位」、ウェブ版美術手帖
[2] 「塩田千春展:魂がふるえる」展覧会図録、美術出版社 2019  P.275
[3] 中村佑子「身体をめぐる切実な希求がかたちになるとき。『塩田千春展:魂がふるえる』評、ウェブ版美術手帖
[4] 「塩田千春展:魂がふるえる」展覧会図録、美術出版社 2019  P.90